テキスト1985
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お花見には永らくでかけた乙とがない。だが華道京展の開催中朝夕の手直しに家から大丸へ通う道で御射山公園の桜が毎年その頃満開である。京展で桜をいけ、会場への往復にその下を通るだけで私は充分満足している。その程度に楽しんでいら’u いけ花の桜は晩秋の寒桜からはじまり、二、三月は彼岸桜、四月に入れればいいが此頃会社のような団体で出かけるお花見は朝早くから場所をとりに行かなければならないらしると里桜をいける。乙の三種が代表的なものだがそれぞれ特徴がはっきりしている。桜というと普通染井吉野の満開の姿が自にうかぶが、彼岸桜の細枝一杯についた花が聞ききると、桜の大木を縮めたような感じをうける。この花をいけたのは四月の初旬で彼岸桜も終りに近かったが前述したような特徴を利用しその小さなピンクの花を通してアイリスの濃い紫をみるとクールな透明さを感じる。その辺が厚手な里桜との迩いだと号弓えそうである。花材H彼岸桜アイリス花器H無色カットグラス昨年の五月十四日からはじまった「花ど乙ろ味ど乙ろ」は五Aの二十日(月曜日朝刊)で終る。私はのんびりした性格の上に物怖じしない方なのであっさり京都新聞社のお巾し出をひき・つけてしまった。「これはえらい乙とひきうけた」と思ったのは連載が始まって四、五回目ぐらいしてからだったと思う。発行部数が八十三万部だそうだから最低百万人の人が京都新聞に目を通すに違いない。そのうち何割の人がとの私の料理記事を読んで下さるか知らないが五十人や百人でないととだけは確かである。料理の作り方ではいい加減な説明はよくない。私の作り方通りやってたべたらお腹をこわした、なんてととにならなければいいがと終りまで念じ続けていた。料理の玄人から見れば乙れはおかしい、というととも随分あったに違いない。それはそうかもしれないが私の作り方は笑際に私が作りつけており、そしてそれをおいしいと思って自分でたべている料理である。例えばどんな料理の本にもぐじの制造りは必ず一塩したものを用いると書いである。だが私はぐじの細造りを一口かみしめた時中の方まで塩味ごころ味がするのが嫌いなので生のものを使う。とんな具合で私の料理には独断が随分まじっている。それでもお腹もこわさず家中大食している。私の料理好きは五十年の年季が入っている:::と言いたいと乙ろだが未だに当りはずれが多いというのはやはり素人である。そして作る乙とが好きな私は所謂食通ではない。食通というのは家に最低三人位の料理人をおいて自分の求める味を作り出させる力をもった人のことである。作る人に対する評論家という立場にあるのではないだろうか。作り好きの私は厚かましくも和洋中華何にでも手を出す。ある程度作り続けていると、よそで何かおいしいものをたべるとそれが大体どんな作り方なのか見当がつくようになる。或いは見当がついたつもりだけなのかもしれないが。そんな風に作り続けてきた料理の紹介に随筆をそえるという仕事を一年間続けてみると料理と自然、料理と人の気持、そして料理といけ花、私達の毎日の暮らし方にも想いが及ぶようになってきた。ものの持味は大切なものである。作る者はいかにその持味を生かそうかと細心の注意をはらい、いただく側はその心遣いを味わわなければならない。大地から切りとられた花も野菜もそのような気持のやりとりの中にこそ生きてくるものであろう。花どころ3 楼

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