テキスト1985
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ぽいも歯だ母も関員羊子し君ωし玉君子聞は稽古に使うのには少し高怖かもしれないが派手なオレンジ色の花が叩輪以上ついているので一本だけ使っても充分その効果を期待する乙とができる強い性格の花である。それは他の花に得難い長所であると同時に使いにくい花であると言うとともできる。とりあわせる花はなるべくあっさりした色彩のものと二種いけがいい。乙の作例では四本の貝母を君子聞の後に配置一したが、強いオレンジ色のお蔭でその淡い緑色の花がきわだって鮮やかに見える。作例では京子関二本をかためて一屑平な花瓶の円を覆うように低くいけ、その後に員母と玉歯羊をそえている。平べったい花瓶なので投入れとしてのとめ方は無理なので剣山を中にいれ花を挿している。君子聞の史は濃い緑で巾広く前平で重苦しい。鉢植にされた君子闘を見るとよくわかる。せめて大ききも、色合もアマリリスの葉のようであれば使いやすいと思うのだが花屋で買うと必ずその重苦しい葉をつけてくれる。つけられていると妙なもので使わなければならないように思ってしまう。他に葉の使いにくい花としてストレリチアがある。このような花材には他のみずみずしい緑の葉をそえるべきであろう。この作例では京ノナ聞の葉は敬遠し玉羊歯の若い緑を使った。われら昭和ヒトケタ仲間KBS京都ラジオ放送四月五日響から毎週金曜の午前八時二十分から五分間ずつ「われら昭和ヒトケタ仲間」というテlマで対談してみないかと旧知のKBSの小林さんから依頼を受けた。昭和一桁生まれはもう皆五十才をこしてしまった。昭和元年は一週間ほどしかなかったから昭和二年生まれの私は最年長の一人なのだろう。皆人生の大きな節目にさしかかっている。仕事の上では大きな転期がひかえているし子供達も婚期を迎えた。一一回昭和元禄という一言葉がよく使われた。石油ショック前の好景気時代の乙とだったと忠う。昭和の初期もそんな言い方のあてはまる豊かな時代だった。それが昭和十年を過ぎてからだんだんおかしくなり、第二次世界大戦へと暗転して行く。豊かな時代に生まれながら戦争中小学生か中学生だった私達は幼い友達を空襲で失ったりしている。その上戦後の長い飢餓状態も経てきている。幼時から忠君愛国をたたき乙まれた頭の中は敗戦と同時に民主主義に切りかえさせられた。良い経験、苦い経験、様々な恕い山川、成長の過程が話題となる。放送日は四月五日、十二日、十九日、二十六日。らん花器灰色紬肩平花瓶9

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