テキスト1985
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ッパ水ラ仙仙一民咲水花器黄色粕角鉢ζの花器は真黄色のきつい色なので以前から敬遠していた。だが黄色のラッパ水仙、中の濃いオレンジ色の房咲水仙にが雁んそ足くをとりあわせて使ってみると中々いい感じである。水仙の色ともよくあっているが雁足の強い焦茶色で花器の色がおさえられたのであろう。ラッパ水仙は三木だけ少し水切りして葉付きのままいけたが、あとの二本と房咲水仙五本は葉と花は別にして花の軸を帰してから葉をそえている。雁足はそのままでは黒い胞子葉の一枚一枚の形が出ないので弓なりに捷めている。乙ういう重苦しい色の花材はよほど前後の間隔をとった上で、重なりあわないようにいけて形をはっきりさせたい。最初にこの作例に使った花器は敬遠していると書いたが私の家にある数多くの花器の中にはどうも感心しない花訴もある。陶器屋で見てちょっと使えそうだなと思って買って帰り、さていけてみるとどの花にも調和がとりにくく、折角買ったのに全然使わないものがある。反対に人にすすめられてしぶしぶ気にいらないのに買ってしまった花器がいつの間にか手離せなくなる乙ともある。人に花器のえらび方をよく聞かれるがζれだけは先代も言っていたように自分で買い続ける以外よい花棋をえらぶ手段は得られそうにない。いけて:・:たべる京都洛西ロータリークラブでの講演(三月二十二日)趣味が嵩じて京都ー新聞に「花どころ味ど乙ろ」を一年間連誠させていただいたがおかげで花をいけるときの心と、料理を作り、そしていただくときの気持に共通する大切な点を考える機会ができた。いけ花を習うというのはどういうζとなのか、それは何かあるごとに皆さんに申し上げている話の一つだが日本の自然が与えてくれるものの有難さに花を通じて触れることであり、両親、祖父母、そのまた先の親達が作り上げて私達に渡してくれようとする美しいものの貴重さを知る機会を得たという乙となのである。日本の四季の変化の美しさは言われつくされているので今吏いうまでもない。いけ花という文化の生まれたのもそのおかげである。又四季に応じて永年の問に作り上げられてきた日本家屋は突に住みよいものであるυとくに若い頃にはその美しさはわかっていてもあまり住みたくなかった京都の町家の暮らし良さにも目が聞けてくると、四季の有難みと代々の遺産に心から感謝したくなる。このような意味の話をいつもテキストで書いたり言ったりしている乙とをもとにして三十分にまとめて講演してみた。足?雁究8

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