テキスト1985
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かんすいあんぶつしゅかんが何十万という読者があると思うといい加減な乙とはできない。学生時代ラジオで中華魁の打ち方の解説で麺を練る時離水というものを加えるが、それを苛性ソーダをいれると言っていたのでおかしいな、と思っていたと乙ろ、やはり間違いで、その通り作ってお腹を乙わした人が大勢出たそうである。私の作ったものを忠実に作ってお腹を乙わす人が出たとすれば、おいしすぎて食べ過ぎたからに逃いない。乙の連載は一年問、約五十回という乙となのだが毎川二品以上のせているので終るまでには百品を乙す乙とになる。私の作りなれたものがそれだけあるとは思ってもいなかったが他にありふれたお惣菜で掲峨するほどでもないものをいれれば相当なレパートリーをもっているらしい。子供の頃から味に興味をもつようになったのは父の影響だが、台所に門由花出入りさせ、色々なものの作り方を教えてくれた母のおかげで料理が好きになったようである。母から教えられた味、私が好んで食べるものをこの一年間で楼子がすっかり身につけてくれたようである。乙れから先は台所を樫子に完全にまかせ、私と素子はのんびり食べる方にまわれそうである。今台所では素子が鏡子の残りの肉館で豚鰻頭を乙しらえている。横ではなが早くたべたそうな顔でじっと見ている。け乙みに行っていると通りがかりの人々から色んな質問を・つける。私の人も多いらしい。いけていると後で何だろうかとひそひそ話しているのも聞こえる。中には花をさわりにく。京の冬の旅e京都駅の新幹線のコンコlスにいいけた仏手柑は見た乙ともなかった京都名流いけばな展後記る人もあってそれには閉口するが、駅での大きないけ花展は珍しい上に期間も長いので、京都のいけ花を知ってもらうのに良い催しである。先月号で開会頭初の各流代表著作の中の私の梅の生花を掲載したが、今回は一月十九日から二十一日までの前期展には私と山下慶淑さんとその社中の泉慶里さん、宮本淑子さん新井順子さんの五名が出品した。私は仏手柑と紅椿を大きな晒木の上にいけ、山下さんの社中の皆さんは、大変カラフルな盛花、投入れの堂々としたのを並べられたので大変人目をひいたようである。新幹線のコン立てると昼間でも薄暗いのではっきりした色の花がよくあっていた。後期展の一月二十二日から二十四日までは咋年に続いて山本慶智さんコlスに花席を作り、高いパックをと田中慶和さん、社中の井上朋子さん、林靖子さんと私が出品した。後期展では枝葉のついた竹を十六本背景より高く文字通り林立させ、その令聞に各自の出品作を間いたが前期展より少し色をひかえ、竹の緑垂直線を主題とした。花席に敷いた砂が竹と花をひきしめ、京の冬を感じさせ、京都の表玄関にふさわしい大作ではなかったかと思う。11

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