テキスト1985
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のぎの苦麦グロ花の精リオlサ花器灰色粕花瓶北野神社の梅花祭も終り、明るく彩り豊かな春の花に固まれて暮らす季節になってきた。三月に入ると各地でいけ花展も聞かれるし暖地に桜が咲きはじめたという記事も新聞に載りはじめる。麦が花材として出まわるのは二月頃からである。雛祭りに桃ととりあわせられたりもしているが、色の対象の爽やかなものである。いけ花によく使われる麦は十亡の長い大麦で、中でもビール麦ともよばれている矢羽大麦は高さ一メートルから一・五メートル、小穂のをも長く十五センチになるものもあって花材としての麦の中では最も美しい。麦は五穀(稲・麦・粟・豆・黍)の類は花材として用いないという風習が古くからあったが、江戸末期頃から麦一種の生花も見られるようであるυ麦の若々しい緑は明るい赤や黄の花の色をひき立て右のに適した花材なので、パ一フ、ポピl、スイートピー等がよくとりあわせられるが、乙の、グロリオlサの強い紅との対照も鮮やかである。花瓶の七分目ぐらいまで小砂利をいれ、その上に剣山をのせていけている。家は葉が黄色く変色しやすいし、本数も多く使うのでそのままいけたのでは葉が多すぎるので、上の一、二枚を残してあとは切りとって使うと姿が良い。訪問問一筋一明人r話時一切借地A)の昔から貧之子供の時から中国の昔噺が好きだった。今でも手近に置いて倦きずに読み返している。花や樹の精の話も多い。美人としてあらわれるのは牡丹や菊のような美しい花の精で、必ず若い秀才と結ぼれることになっている。花の精達は一緒になった気弱で世渡りの下手な秀才達よりずっと性格が明るく、家計のやりくりにも長じており、雇い人達を使うのもうまい。その上教養豊かで気位が高い。或る菊好きの秀才と一緒になった菊の精は豊かでない夫のため菊を作って売ることで富を築いたが、愛する菊を売物にした乙とを恥じている。そこで菊の精は乙う言う。「わたしは欲、はりをしたのではありません。ただ少しはお金持忙ならない乙とには、いつまでたっても世間の人が菊を愛するものは附桁明(綿一神にとりつかれていて、山世はできないものとあざけりますから、わが陶淵明のためにやっただけです」と平然としている。乙の美しく聡明な菊の精に弟がいて大層な酒好きだった。そして遂に酒で命を落すが、僅かに残った芽から白い花が咲き、嘆いでみるとほのかに酒の香がしたυ陶酔と名付けたそうだが今でもあるのだろうか。3

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