テキスト1985
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、、、k白梅dphpJドマつりんどすわえ花器淡青糊花瓶通していても、それぞれの桜の持ち味は出ているようである。ただ二二五号の彼岸肢は写真をとった時点での泣が問すぎたようである。乙の二頁に桜と梅を並べてみたがその追いは大変興味深い。以前から時々栴と蝋梅、桜と桃、桜と木瓜、のように似たものを集めて掲載している。蝋梅は別として、梅、桃、す李もも、あ杏んずは植物の分類学ではパラ科の桜属にいれられている。パラ科には他に林檎属の林檎、版業、梨属の梨、木瓜属の木瓜等多くの近縁でなじみ深い花があるが、花だけとって並べられたらどれが何の花か私達にはほとんど見分けがつかないだろう。でも花の咲いた小枝、そして大枝、幹と見て行けば次却にどれが何とわかりはじめる。似てはいてもそれぞれが別種なのである。分類学では同程の問では巾間純というものがあるが、もう一つ上の段階の民の川では介の子というのはないのだそうである。実際にいけた元円必と梅をくらべてみると、最もはっきりした追いは立と需の枝先であろう。桜のすんなりのびる柔らかな丸みをおびた線と、梅の鋭く折れた閏い線。悔の老木をいける時Kは乙のような固さをわざと誇張して形造る乙とさえある。X栴には楚をまじえていけるが、からみあうように日曲した小枝と、直線に近い緑の対を極端に対照させて直立させる。乙れも似にはありねないいけ方であるο更にやわらかい曲線でまとめるのが桃の生花といえる。この栴の生花は一月十二日から同鉄のJ尽の冬の旅eに協費して開催された時に出品したものだが高のまわった十日木の姿が京都の冬の風物の一端を表現しているように思う。京都の冬の名闘は訪れる人も少なく静まりかえって冷ややかである。その闘い也はふくらみはじめ、開きかけてようやく人にそれと気付かせる。静かな京都の冬枯れから早秤への移り変りをとらえていけた梅の一瓶である~.; i〆キ歩7 注fふρ1

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