テキスト1985
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ぷ江なりかぼちゃっる・つめもどさ私達のニューヨーク!日月初日サンケイ新聞掲載|ケネディl空港についた夜、尚月が銀白色に輝いている。アメリカ人は満月を形容してシルバーダラ!というそうだが本山lk作りたての1ドル銀貨のように見える。日本で見る黄色みがかった月の色ではない。ニューヨークの秋は空気が意外に澄みわたっているようである。翌別ホテルの窓からハドソン川の向い側にニュlジャージー州が見える。河川に近いあたりには仁場やビ政ディングが並んでいるが、あとは深々とした黄葉、紅葉の樹林がはるか上流の彼万まで見渡すかぎり延々と続いている。本で読んだり、映画で見るニューヨークはとんな需ではなかったのである。超高層ビルの林立するアスファルトジャングルで低くたれこめた排気ガスの中で人々はあえぎ、セントラルバlクが唯一の緑の恐いの場だと思いζんでいたのである。有難いあてはずれに気をよくしながらまず第一番に行ってみたかったプロンクスのニューヨーク植物凶に山かける。乙こにはニューヨークの原生林が残されているという。温室にいた困の研究員にきくと、それは凶内東寄りのブロンクス川に沿った一部だそうである。一部といってもそとだけで京都御所ぐらいの広さがあるので三竹年以前の環境を充分感仙渓・ぷfじることができる。が主で栂や楓も多い。二、三十メートルもありそうなオlクが黄色、高(紅に照り脚き、見上げる山rの色は大都会の巾とは思えないほど澄んだ育さである。りの落葉が厚くつもり、寝ころんでみるとふんわりとして暖かく、からっと乾いて再ばしいにおいがする。乙の原生林にヨーロッパ人述がやってくるまでは土朽のインディアン述が暮らしていたのであろう。立ちあがってじっとオlクの林の奥をみつめていると今でも鹿革のモカシンをはいたインディアン達が彼等独特の歩き方で枯葉をふみしめる足音が間乙えてきそうである。る刊い、十川(ぶにはじ削風をさそい乙む深い木降、そじて秋、冬静かにつもる主。ニューヨークはもともとそんな風上ではなかったのだろうか。も西部劇にな崩するような粘惇な積族ではなく、ニューヨークでも最も美しかったであろうマンハッタンを三百年前ヨーロッパ人にたったおドうようなのんびりした述巾だったに違いない。てニューヨーク市を辿設しはじめた原生林はオーク(撫科の小橋属)切るく日のさす地而には色とりど新似の凶の加えたつ明るさと溢れル分の雑貨と交換にひき渡Lてしま一方この美しい原生林を買いとっそζに机んでいたインディアン達ヨーロッパ人述はこのマンハッタンを超高層ビルの林ι造りかえてしまった。その片日々の暮らしのあらゆるものを乙の広大なアメリカ大陸の自然にゆだねていたインディアンはわざわざ花をいける必要もなく四季の美しさを直接享受してきたが、美林を伐りはらって作みはじめた今のニューヨーク人は花や植木をとても大切にしている。そじてその扱い方や飾り方も巾々見事なものである。マンハッタンの目抜き通りにIBMの木社があり、その隣にトランプタワーという超返事な高層ビルが建っている。その二つのビルの間K二千坪ほどもあろうかと忠われる広場が作られ、その全体が古川さぬメートルの、ガラス張りのし人制・引になっている。山は御影石で敷きつめられているが所々を仕切って却メートル以上に成長した孟宗竹が植えこまれている。それだけでもいい糸附らしい思いの場なのだが私の行った十月の木は丁度ハロlイン(万明節)にあたるので大きな鉄の鉢(直径川メートル)にオレンジ色の巨大な南瓜に叫縮擬をあしらったものが加鉢以上も飾られていた。六(直ぐな緑の竹に秋の収穫がそえられていると、ど乙か日本の古い祭引を見るようでそれは私には立花の発祥の盗を感じさせる。スイスの心理学者カール・ユングはアメリカ人を定義して「アメリカ人とはインディアンの心をもち、浪人の身振りをするヨーロッパ人である」といったそうだ。古くからそのよ地に住んでいた民族は、あとから米た民族の心を知らず知らずの問に幾分か同化させるものらしい。実際アメリカ人の中にもそれを感じると書いている人もいる。アメリカ人は日本のいけ花が気に入っているらしい。とくにニューヨークには多そうである。ブロンクスの植物倒で見たおだやかな門然。もし円然との一体竹をのぞむ心が日木のいけ花を作いんだのなら乙乙にも別な形のいけ花がん止まれても不思議ではない。ヨーロッパ人の向然観と円木人の向然観にはし人きワシントン国会図書館で(卜lマス・ジェファソン館大ホール)な距りがある。だがもしニューヨークの人達がインディアンの心もそなえているとすればもとのヨーロッパ人とはその円然観もちがってきている筈である。インディアンの’l然倒は同じ黄色系の川氏肢として円本人に近いところがあるかもしれない。とすればアメリカ人がいけ花に興味を示すのもわからないζとではない。だがアメリカの同土は日本とくらべてあまりにも広大であり力強い。もしアメリカ人が、白木人の向然観に親しみを感じ、いけ花を習ったとして’円分間’Aのいけ花を作り上げたとき、それはヨーロッパのフラワーデコレーションともかけはなれ、日本のいけ花とはその川上性のちがいζ10

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