テキスト1985
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サイ同守合たけ正われもtうぐさ竹似草は日wlりのよい草原や山道でよく見かける。日本では雑草のように扱われているがヨーロッパではわざわざ胞に植えられているそうである。名前の由来は丈が一向く茎が竹のように中空であるからとか、乙れと一緒に竹を煮ると柔かくなるので竹煮草だとも言うがどちらもあまりあてにならない説である。六月頃から花が咲きはじめるが、その時期にはあまり使わず、多少水揚げがよくなる実のできる初秋からの花材である。竹似草のような野草は自分でとって乙なければならないが、よく成長したものは直立して高さが2メlト政以上になるのでなるべく背の低いいけやすそうな形のものをえらんでくる。竹似草は大きくいけるにしても高さは六、七十センチ程度、木数も二本で充分である。多くなると葉も邪魔になるし、実のきらきら鳴るような美しさも半減してしまう。少し大きくいけたいならとりあわせる野草の種類を多くした方が主材としての竹似草が生きる。部尾に飾る普通作なら三新ほどの中に色の鮮かな花を一種そえるぐらいでよい。花材竹似草吾亦紅黒塗花瓶コスモスU草たけにぐさ方向に進む途上同じ志向の小集団にであったとき大きな安心感を得るυ私達はそういう和類のいくつかの小集問に所属しながら向分の作ったものを評価しあい、その感覚を磨きあうようになってきたυいけ花の組織というのもその一つであろうοいけ花も一昔前までは嫁入り前の身噌みの一つで型通りの乙とを覚えるだけでよかったのだが今日では求められる乙との深さは以前の比ではない。多分それは門然を通じて何られる自分の生き方であろうοそ乙で得られる人生の実感は消えてはあらわれ、あらわれては消えるものだろうが山伏して頼りないものではない。わずかずつでも積み重ねて行くことによって深い人生の実感を味わうことができる筈である。今度の墜落亨故で私は親しい知人を四人失った。当流の師範猪飼よし恵さんの御夫君善彦氏と長女小夜ちゃん、長男潤君の御三方。「つくば科学博」にお父さんの善彦さんに連れられての帰途、留守番の母親よし恵さんに「お土産買ったからね」と電話した直後の御避難で何とも申し上げようのない乙とである。又私の親しかったみささぎ流の副家元片州右弼氏は東京での稽古の帰墜落事故竹似6 ←νロγ庁

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