テキスト1985
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てきめんしEうュlムのような大柄な花がよくあうあをdeりのうぜん、ずら梧あを制ぎりはいけ花展の大作に幹だけがよ軽くて柔らかな桐の枝に堅くて重い実が房のようにつくο中には小さな椅子が八百個から五千個もつまっている。制の花の咲くのは晩春、そして八月には実がしっかりした姿に成長し九月の下旬になると黄な粉をまぶしたような来年の花の蓄の枝が横に並ぶ。桐の小枝は大枝からノの字形にのび上がるが作例では反対向きに枝先を下げるように使っているυ相当重い枝なので花器も底の大きなものを使い、前後左右のバランスをとりながらいけて行く。青々とした房状の実にはアンスリし緑の量も充分なので葉物をそえる必要はない。制が花材として最もよく伎われる時期は秋から冬にかけて黄色い蓄をつけている頃で、お正月の花にもよくとりあわせられているuそれは中同で桐は鳳ほ,フ恩おうの住行霊木として尊重されていたことによるものである》だが中間でのそれは梧あを州ィり科で幹の総色の梧桐の乙とであり波書花科に属する桐のことではなかったらしい。く使われるが、花や実をいけられる乙とは余りないようである》花材桐の実アンスリュlム花器陶白色花瓶此頃おいしいものが多くなりすぎたせいで、うっかり間食に手を山すと観面に夕食に発しっかえる。まるで子供の頃みたいだと一人苦笑しているが、敗戦前後の飢えの時代を通り過してきた私は現花の豊かさの中で奇妙な虚脱感に陥ることがある。飢えの時代は衣食に関して手に入るものがあればどんなものにでも手を山そうとした。多少余裕の見えはじめた附和三十年前後からの析くの聞は人々の欲しがるもののパターンも一定しており、クリスチャン・ディオールのAライン、ロングスカート、等毎年の変化はあったものの流行はある一点にしぼられていてそれが者られば一応の満足感を得る乙とができたυところが今では流行という一一一以来は一定の方向を見失い、ありとあらゆる素材を駆使し、考えねる限りのバラエティーをとりいれた出品で悦れかえり、その前にす一っとき誰もが苛立たしさをおぼえるようになってしまったのではないだろうか。物を造り山す企業にとっても現在ほど難しい時代はないだろう。消費者の晴好はマチマチで一頃のように一品開の大量需要という乙とはのぞめなくなってきたようであるυ誰もが同じような物を欲しがらなくなってしまったのが今の社会であろう。豊かさと生きがい生産者側もやりにくくなっただろうが消費者側も次から次へと作り出されてくる新しいもの、その新しいものを使い乙なしきれないうちにもう次の新しいものが売り出されるのだから何を基準に物を買えばよいのかわからなくなってしまった。ζ乙へ来るまでは新しさということに対して信仰に近い欲求があったが今では新しいということに懐疑心を抱くようになってきた。昔はヨーロッパにおいても庶民の所有し判る物はごくわずかなものであったし、新しいものが手に入る乙とは大きな喜びであったにちがいない。庶民の所有物の数量がふえはじめたのは産業革命以後のことである。生産手段の革新によって大量にある程度の品質を保証された品物が手に入るようになると人々は次に改良され安価となる筈の目阿品を符ちうけ、それが達成されることを人類の進歩と感じるようになってきはじめたοそれまでは進歩といってもどくテンポのおそいもので、祖父、或いは組組父と同じ服装で、閉じ道具で山を耕し、そしてその孫、曽孫も同じ生活をくり返し、変化の単位は二、三百年ぐらいのものであったろうο百年前によかったものは百年後にもいいものであり一般庶民は世の中のすべての物事が同じ状態を続けている乙とに事吏疑問を抱く乙とはなく(次頁下段へつづく)3

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