テキスト1984
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笹田]パイデンドロビュ1ム・ファレノプシスップルリリナl手花器、、l’J 枝パイナップルリリーがよく使われたのは十五年位前頃までだったように思う。昭和三十年代に発行された植物辞典には、その頃デビューした新しい花として注目されている。今ではあまり花尾でも見かけなくなってしまったが、それは目立つ形をしているわりに、花の色が地味なせいではないだろうか。実際児乙の花を手にしてみると、明るい色をとりあわせる、必要を感じるが、あまり強い色は使いにくい。三年前の九片母にはピンクのトルコ結梗をとりあわせているが、今月号で’もピンクのデンドロビュlム。ファレノプシスを使ってみた。両方をくらべてみると、三年、仰の方は色彩効果を主眼において草やかにいけられているが、今月号ではパイナップルリリlを自然調に、花器も小伎を組みあわせた素朴な木篭になっている。左へひょっこりのびたデンドロビュlム。ファレノプシスと篭の黒っぽい木肌の色の対照もいい。いけ上がりから受ける感じは、乙の篭の作られたフィリッピンの田舎が恕いうかべられるような、のんびりとした明るさがある。少し時間の余栴のある時、庁々の店をのぞき歩いているが、誰がど乙で見付けてくるのか知らないが世界中から色々なガラクタが集められている。だが乙の篭のような系朴なガラクタには親しみと好感がもてる。私は手を動かしていれば機嫌のよい人間である。物を作っている時が最も平静な気持でいられるし心もやすまるようである。手を動かしていることができれば何でもいい。だからする乙とがない時には、たてつけの悪くなった戸や接触の悪くなった電気器具を治して満足している。料理作りの好きなのもそんな理由からだろう。私の仲間にもそんな人達がいて、ビデオにとりくんだりしている。いけ花の家一応が何故乙んな見事なビデオ装前が組み上げられるのか不思議なくらい精巧なものである。おそらくその連中も暇があれば手を動かしていなくては気のすまない性分なのだろう。物を作るのが好きな人は、作り上げて行く手順を考えるのも来しいし又いつの問ιかそれを覚えてしまうものである。そして材料に対する知識も豊富でどこへ行けばどんな器具が手に入るか私が食料品屋に詳しいようによく知っている。何故手を動かしている乙とが好きなのか自分でもよく分からないが、横から眺めていると、おそらく好奇心の強い猿のように見えるだろう。人川以外に唯一前脚が手に進化した狼は、暇な時には必ず手を使って、司、4

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