テキスト1984
94/137

つまじろれんれんだい秋の山の中で時々美しく紅葉した山葡萄をみかけるととがある。蔦によく似ているので見分けがつかないが、葉の切れこみが浅く、丸葉満作のような形をしている。実は秋になると青黒く熟し、お菓子のなかった頃から山の辛として親しまれてきている。果物としての凶ぷ品開の伯伯は、八世紀の初め中間から渡来しており十二世紀になって中州(山梨県)勝出で本格的に栽培されはじめている以来日本では何伯といえば『甲州』ということになり、情一千峠を越して江戸の町にも山荷されていたとい日本に原首した山市川仰があったと乙ろに、西アジア原産の伯荷が入ってきたのだから、新しい輸入植物とはいえ、日本人にはそれほど違和感なくつきあえたことだろう。円本人と葡荷との歴史も相汁古いものだといっていい。中近東からギリシャにかけて葡街酒のために古代から栽培されていたので、建築やエエ品のデザインと七て使われており、紀元前一五OO年頃のエジプトのテlベの落の壁画に収穫から葡補酒造りの過程が正確に描かれている。又ギリシャでは色々な植物が神々に結びつけられたり、ささげられたりしているが、酒神バッカスにささやけられた木は葡捕である。ギリシャ、ヘザフライの両文化になじみの深い葡萄は様々な装飾模様を生み、シルクロードを通って東洋にもやってくる。正倉院御物の中の有名な海獣萄鏡も中国の六朝文化をへて日本に伝わったものだという。花材としての葡萄は、実が重くて位いにくいとか、葉の水揚げがよくないという理由で、いけられることは少なかった。山葡萄の紅葉も秋の山路を感じさせるのにふ5わしいものなのだが、乙れも本揚げが悪く、葉をとって実だけにしていけられたりしている。ところが最近鉢植の葡萄が珍しくなくなってきた。いけ花として使うのにも手頃な大ききであり、根洗い(植木鉢から土どと抜き出し、土を落して、更に水で根を洗う〉にして使えばいけ花展の会場でもよく水を場げるので時々みかけるようになった。一週間位ならその後地植えしておけばよく育ち、枝ものびて作例のように切りたての枝葉をいけることもできる。花器は下部が朱色で上部が黒い…両さ辺佃のガラス花瓶である。左斜前にのばした葡萄の枝は印冊、本か三本短い枝で形をとる。デンドロビュlムファレノプシスは赤紫のもの一本、白に近いピンクを二本いあと二ずれも葉付きのものを使っている。口が大きくて花がとめにくいので花器に剣山をいれている。乙のいけ花は葡萄の葉を主にしているのだが、三頁の実を主材にしたものとは少し趣がちがっている。葉を疋面に向けてはっきり形を見せると、古くから模様化されてきたものなので色々想像をかきたてられる。《表紙の花》蓮お往を過ぎると蓮池では蓮ム円(蓮の実)が目立ってくる。花は時期おくれのように所々にポツン、ポツンと咲いているだけになる。今年も何回か蓮池に行ったし、旅先の車窓から庁々の越池を眺めた。蓮の葉と豪華な花の対照は夏の風物の中で最も美しいものの一つだろう。だがあのふくよかでみずみずしい蓮の花から、異様とも言える蓮ム門のような形のものができるのは、どう考えても不思議なものである。連は現作、過去、未来の三世をいけるという古いしきたりがあるが、夏のはじめ、ようやく花の咲きはじめた凶には、花と葉だけを清らかにゆったりといけるのがよい。盛夏を過ぎ、葉が古くなってきではじめて連合と一緒にいけるのが自然ではないかと思う。蓮台、葉花材運l白蓮、紅蓮、爪白蓮花mm灰白色深鉢Uャっ。葡ぷ萄f2

元のページ  ../index.html#94

このブックを見る