テキスト1984
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形をとっている。そのような構成があって、はじめて、単に水に浮かべた花から、浮き花といういけ花となる。作例では一番下に見える花は、水面から五センチほど浮かせ、その次の二輪は低くというように少し高低をつけている。カラジュlムの葉で、水面の広さに変化をもたせ、その緑で花の色をひきたてることも必要である。気温が高いと、葉から本分の蒸散が多くなって、しおれ万が早くなる。庭の紫陽花を見ていても、暑さのはげしい日中には葉がしおれているととがあるが、夕方気温が下がってくると、しっかりした形にもどる。根から水を吸っていてもそうなるのだから、切花ではもっと条件が悪い。大きな面をもった葉の沢山ついているパラが早くしおれるのは当然なことである。拡張のせいで早くしおれるからといっても葉を全部とっていけたのでは、パラの美しさがなくなってしまうので夏の聞は短くいけるようにしているυパラの自然な美しさも残せるし、落が短くなっただけ水揚げも多少よくなる。ガラスの水盤と水を美しく見られるように、広葉の緑でなく、アガパンサスの細いしなやかな葉を使ってみた。4ページのいけ花花材為朝百令カラジュ!ム花器広口ガラス花瓶5ページのいけ花花材パラ八白と紅)アガパンサスの葉花器無色透明ガラス水盤あります。んと、部屋の担度は少しも変わらないのに、スlッと額の温度は下がります。音を聞いて、ぁ、風鈴が鳴った。風が吹いている、とでも思うのでしょうか。単純なのか、それとも敏感なのか、ともあれ、乙れが人間の感覚という乙とになるわけです。まさに人間は精神的動物ですとは、禅宗の名僧の言ですが、別に悟りを聞かなくても理屈は一緒です。なのだそうである。という乙とは、涼感のある花をいけておくのは、単なる気休めではなく、実際K人体に感じる不快指数も下がるのである。そして生きのよい緑の葉は、太陽の熱線を吸収して明るいが、涼しい光と変るそうだが、しおれてぐったりした葉を自にすると、不快指数は逆に上がるのではないかと言っておられる。以上引用させていただいたのは、涼しげな花をいけておくのは徒労ではなく、実際に夏を楽しく、元気に過ごす乙とが実験で証明できることであり、裏付けもなく気分だけで皆さんにおすすめしていた乙とが確かに有効な乙とだったのだと言いたかった訳である。夏の挨拶で「お暑うございます」というのは、不快さを確認しあい、増幅しているという乙とだそうで、とれから私達お互いの挨拶にも花の乙とでもいれて、二回久きわやかにすどしたいものである。30 「心頭を滅却すれば、火もまた涼し」チリンチリン、という音が流れるとな5

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