テキスト1984
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21U Kゅう認ずいろど蒲海芋花器何を他人行儀なと思われる方もあるだろうが、「いただきます」「ごちそうさま」という言葉はそのために乙そある。新聞を読みながら、テレビを見ながらでは食事ではない。考えてもみよう。他家で饗応を受けながらテレビをつけろ、とか新聞を持って乙い等と言えたものだろうか。家族と一緒にテレビを見ながら平気で御飯がたべられる奥さんがいるなら、その家の料理は手抜きですませているに違いない。花をいけ、よく考えて献立を作る家にはそんなととはあり得ない。余分な話が長くなったが、まず六頁の生花を解説しなければならない。二重切管の下段は、板屋楓の枝先の枯れた苔木に新緑の葉をそえている。真、副が枯木、胴に葉付きの枝を使って古木の感じを損わないようにした。留には桔梗を用いたがこの生花で唯一の彩りとなっている。上段の米蹴踊は副流しとし、上段、下段共枝ぷりのままいけているので型はずれな生花である。こんな古木は塑にはまると古木らしくなくなるし、型からはずれすぎると、生花ともいえず、投入としては、うっとうしい。とれ位が頃合ではなかろうか。七頁は、蒲と黄海芋でである。蒲は一層いけが無理な花で、大低氷草を留に根締めとしてあわせる。杜右、河己う骨ほね、お以も前沢潟をそえたものをテキストにのせたζとがあるが、そのような本草がとりあわせとされている。一瓶の生花には蒲は五本迄が季節にあった涼感を求めるのに適当で、一則、真の葉をやわらかくなびかせるように、下垂させるのも池辺の凪情があってよい。蒲の葉は茎の両側に対生するので、左右に葉が向くようないけ方をすると交差が多く形がととのえにくいので、葉が前かちり見て前後に並一ぶように挿してから捌きをつける。一株いけの夏向きの生花貫2隠と7 7k

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