テキスト1984
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こんにゃくまむしぐさ里芋科の花は、他の花とくらべて、特異な形をしている。見なれた海芋や、アンスリユlムなら、その美しさはわかるが、うす暗い山路で見る腹草は、名前通り茎が腹の胴のようで気味が悪い。との作例に使った花は、名前がはっきりしないので、一応黒海芋としておくが、多分山商蕩の仲間だろう。仏炎直||海芋では向、アンスリュlムの赤く平たい花弁のような部分||は哨紫色υ肉穂花序||仏炎琶の中心の柱状の部分ーーは、上部が黒く、延部が黄色で、葉は海芋と同じ形をしているυ先月号でグリーンの大m−海が、乙の黒海芋も私の知らなかった花である。たまに入荷する変った花の巾には、名前が花屋でも分からないものが多い。次に注す〈しようと思っても、注文のしょうがない。そしてそのうちに忘れ去られてしまう。だがこうしてテキストに使っておけば、必要な時、探して’も、り’つ乙とAもできる。変った花ではあるが、とりあわせの料開は広そうに思うο芭蕉の葉ともよくあっているが、五頁の苔のまわった水木といけ、あ前ざみをそえたりしても、文人趣味的な、良いいけ花となるだろう。黒海芋は、洋北とも調和しやすいようである。例えば黒向子は卜いの写真のままの形で、芭蕉の位山に濃紅色のパラととりかえるとともできる。ただしその場合花器は現代調なものにとりかえたい。黒海芋のように、あまり見かけない変った花の良さは、既成観念にとらわれずにすむので、とりあわせに円山さがあるところではないかと、考えられる。五月十四円カら、侍月曜円に、京都新聞の料理欄を担当するととになった。家庭料理が大変高級化してきた今日此頃、ぷ人の私がえらそうなことを書くのは大変恥ずかしいのだが、私の唯一の趣味でもあり、子供の頃から作ってきた料出の巾には時たま人織に、ほめてもらえるものもあるので、京郎新聞からの芋を紹介した御依頼をおひき受けした次第である。又料理というものは、単においしく作る、おいしいものを食べるというだけのものではなく、食L川十を共にする人々の心の持ち方も大切なのである。心を乙めて作られたおいしい料用と、家族のゆたかな気持がある時、それは良い食事となる。だから京都新聞に、私が書くのは、料理作りと、食べる乙とをひっくるめて、食事とはどうあるべきか、という乙とである。食事ということに対する私の考え方は、多くの部分でいけ花とも深くつながりあっている。自然観や季節感。成いは日本の風七に培われた伝統咋は、私の止前を支配し、ルいき万までも決定付けている。私は師純許状授与式の時、度々乙う言っている。くつかの担をマスターして、それで良いというのではなく、花をいけるということが好きになって、う乙とである。いけ花を町内う前から、好みの『いけ花を習うという乙とは、ただいはじめていけ花が身についたとい!坊市1トミラJV脳内とミラ票ミ海芋芭荏盤花器7.k 資内2

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