テキスト1984
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花器白地碧色文花瓶インドやイラン、アフガニスタンあたりの民芸品を扱っている店が京都にも所々にある。一頃乙んな花瓶を安くて沢山売っていたので、父と散歩のついでに何度か買ったことがある。そんなものの一つである。気楽に作っているのだろう。いい加減な焼き上がりで、水のもれるのも多い。でも使っていると、乙ちらにもそんな気持が伝わってくるせいか、ζの花瓶にはいつも、のんびりした明るい花がいけられているυ花瓶の円は小さいので、紅誌は何木か根もとを束ねながら形をととのえ、針金でくくるνそのとき垂直に割竹の足をつけておくと花器の中忙しっかりととまる。そしてポピーを挿し乙めるだけの余裕をつけておかなければならない。ポピlは何色かで一束になっているが、色がかたよらないよう、よく見定めて買うとよい。長いの短いのと配置を考えながら挿して行く。花瓶の円が小さいので先にいけたポピlの形が変ってくるが、あまり気にせず、全部怖し終ってから、形を調整し直すu抜いていけ直しても決して思った通りにはなってくれない。全体の形は最初にいける紅蔓できめておくと、ポピ!の方は、そんないけ方でも充分見られるようになる。中で充分気分の転換ができている。外見は暗く陰気そうに見える中京の住居も、家業を続けている人達にとっては、暮らしのサイクルにあった快いものなのである。残り少なくなったが、古い家を大切に使っている人もある。私の向いの家もそうだし、家元仲間にも一人いる。そんな人達の家は、ど乙か傷んだ所を直す度に、昔より一段と良い純日本風なものに変って行く。明治生まれの先代達より、そういうものへの愛着や理解は昭和生まれのその人達の方が深いようである。そんな所で京都の古い命脈も保たれているのだろうο京都には家元の他に、染モめも元とか窯ま元という、元もとのつく仕事をしている家が多い。染元というのは、例えば京友禅の地色を黒く染める黒染屋さん等で、自家独特の黒を、何々黒と称して、「何々黒染元」という暖のれ簾んをあげているο黒そのものに大した差はないようなものの、乙の柄にはA染元の青味の黒がょいとか、微妙な差が杭み重なって京都の着物ができ上がるのだろう。大工場で大量に生産される繊維製品も、永い歴史をたどってきた「何々黒」の美しさがその基準になっているようである。私は花道の「家元」であって、「ビル元」でもないし「会館元」でもない。文字通り家元なのだから、古い家を、大切に住んで行きたい。とかポピ主主f~ 紅11

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