テキスト1984
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~ ヲ令。官且巳なかぎようまちなかζまどあるじかいわバさんぷつ中庭んアリウム・ギガンテウム紅蔓花器オンシジューム灰青色粕テキストの原稿を書きながら、花の名前をしらべる必要から、植物辞典をひいていると、書くのを忘れて加分程読みふけってしまうことがあ一周アリウム・ギガンテウムは百合科に属するが、百合科は仲間が多く、私達にはそれが何故全部同じ科に入るのか、よく分からない。例えばアフリカの砂漠には高さ9メートル、幹の太さが直従1メートル木肌が象の足のようで、太い枝が異様に多数分肢した気味の悪い木がある。アロエ・ディコトマというが、それが雪笹のように可憐な日本の百合科の山草とどうつながっているのであろうυ又笹百合のほのかなに芳香が同じ百合科でありながら、大事のにおいと何故乙うも違うのか。多分何億年か昔に、現在の百合のもとになる原和がど乙かでできたのであろうが、乙の地球上で、一つの原程から、住み分けた風土の条件で乙うも迷った形になるのかと咽然とするυ何億年かかかって、今との姿で私達と山会っているのだと思うと何ともいえぬ畏怖を感じる。百合の方は人間をどう感じているのだろうか。上の作例はのんびりした花で、三種の植物が思い思いの姿でからみあっている。うまくまとめてみようとするとかえってその花の表情がうかがえなくなってしまうように思う。しむし||叩頁下段へーーー中京の町中を通っていると、古都とよばれているにしては、緑があまり見当らないのに気がつく。紅殻格子に虫龍窓の続く通りに、たまに高い塀の上から松の梢がのぞいていたりするくらいのものであるυま町ち並日みは暗く冷たい感じさえする。通りから一歩中へ入ってもまだ表の作いの延長で、そ乙はいわゆる店の問、或いはその名残りをとどめた部屋で、いわば営業室といえる。そζにもまだ緑は見当らない。次に中の間e−− があって、奥の聞になる。奥の問K通されて初めて、その家の主の好みの中庭を自にする乙とができる。私の住む中京室町界隈も、つい先頃までは、どの店も主人一家が住み、店(表)と奥がうまく使いわけられていた。遠来の大切な顧客は奥の聞に通され、主人一家のもてなしをうけながら自にする中庭の造りや、床の聞の飾りつけから、京都の仕入先の店の主人の人柄をうかがい知る乙とができたことだろうοだから乙そ、京都の商家の主は自分の好みを殊更大切に暮らしてきたようである。京都の産物は工芸品である場合が多い。室町筋の呉服にしてもその傾9

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