テキスト1984
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旦柳花あずきゃなぎト7ト1b同正じ寸イu川r河丸私も生花をやりはじめて間もない頃、ある展覧会に出瓶するため、一晩徹夜で赤芽柳を刊本ほどいけた乙とがある。会場について、半ば仕上げた赤芽柳を前に悪戦苦闘している所へ、隣に先代の西阪専慶氏が、私と同じ赤芽柳をもち乙まれて、苦もなくいけ上げられたのを思い出す。先代西阪氏は、私の奮闘ぶりに好感をもたれたせいか、柳の扱い方について色々と助言して下さった。その頃京都の花道会の古老の皆さんは、私が花をいけていると、よく私の後に来られて、何かと話しかけて頂いたが、その時得た知識は今でも随分私の助けになっているοいい想い山である。和則には引在まで、ずっと「行」の型ばかりいけさせ、型が完全に身につくように指導している。私は小学校の頃から中学校の間剣道をやっていたが、剣道では「型」の訓練が稽古の主になっていたような気がするυ多くの「型」が身につくと、向由稽古で打ち合っていても、どんな場面でも反射的に身をかわしたり、打ちこんだりできるようになるυ打ちこむ方も、かわす方も人間の動きには一定のパターンがある乙とを剣道は長い歴史の中で見出したのだろうu型を知らない相手だと、それがどんなに運動神経が発達した力の強い人でも、乙ちらは型通りの勤きで簡単に打ちすえるととができるuところが高段者同志になると型通りでは勝てなくなってくるν生花で古木や、繊細な草花をいける時と似通っているように思えるυそれは相手と向きあった時、直感でその動きを感じとり、それに合った身の動きがとれるかどうかということであろうο違いは、いけ花には勝負がなく、花と一体になるところで終る点であるο真面目で素直な和則は、現在「型」にはまってもらうよう栴古を重ねているが、「型」がはずせる日を楽しみにしているο7 者It

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