テキスト1984
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もたまづるじか君子蘭は豪華で美しい花なのだが、とりあわせを誤まると、その強い朱色の花が他の花の色を悪く見せる。又その両平で大きな葉を並べていけたりすると扉風を立てたようで重苦しく、花型がよくない。したがってその葉は用いず、淡色の花か、他の観葉植物の葉ととりあわせるのが無難であるο乙の作例では、アカシアの満開の花をとりあわせたが、そのやわらかい黄色のむらがりが、君子闘の強い朱色を程よく吸収し、暖かい陽春の明るさを感じさせるいけ花となっアカシアは枝先の葉以外は全部とり去ると、花の黄色がみずみずしく感じられる。又そうする乙とによって、花と花との間隔が広くなって、軽やかにもなる。朱色の大きなかたまりを作って咲く君子聞は、家佐内ではとりあわせがよくないと、不様ないけ花忙なるが、いけ花展の会場では、その強さは大きな効果を発揮する。例えば、カラベラのような大きな枯葉五t六枚と君子蘭五t六本。或いは藻玉廷の太いもののような褐色の枯花材とはよくあうようである。乙の作例も幅は別センチ程あるので、いけ花展の叩センチ帽の花席には丁度いい大ききである。・君子附アカシア・紺色花瓶うυハープとハプシコlドの伴奏でEA−SHELLs−(貝殻)とい娘のはなは随分沢山レコードやカセットテープを持っている。時々私にも聞かせてくれるがその中で最近感心したのは、ペギl・リlの、Sうアルバムである。有名な女性ジャズ・ヴォlカリス卜で、もう六十才は乙しているだろ古いアイルランドや、スコットランドの民訴を静かに旧っている。その聞に、唐時代の詩人李太白の英訳された優しい愛の詩の朗読が入っている。ハプシコlドの小さい音をパックにペギl・リlの声で聞くと、李太白の詩には、私が今まで感じていた印象とは又違った味わいのある乙とを知った。私達が漢詩をいかに工夫して朗読しても、ζんな感じは出せない。漢文調がぬけきれず、何となく教訓じみた響きさえする。と乙ろが乙の朗読を聞いていると、李太白の詩の情感が耳から直に心に伝わってくる。はなの年代の子供達は、私になじめない音楽にも親しみをもっているが、私と共感できる一面ももっている。どこで買ってきたのか聞いてみたところ、神戸のお祖母ちゃまから借りてきたという。三世代一つの音楽を共有できた訳である。ペギl・リlは私の学生時代からSEASHELLS た4

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