テキスト1984
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がし・り7uJuudJJまばないしーしうοおだやかな雪景色であるυ関西地方に+円くから庭木として好まれている山茶花に、真しん紅〈のしし「獅頭」というのがあるυ家の中庭にもその古木が植えられているο十二月になると咲きはじめ、三月の終り頃まで咲き続けるνその獅子頭が最も美しく見えるのは雪の円であるν樹形がよいので雪も恰好良く私もるνその雪の山からのぞく真紅が何とも一一川えす、号り空Kなると主にでもならないかなと期待したりする乙の冬は随分早くから塞くなりはじめたようで、洛中の庭でも何度か雪景色を見ている。苔の卜\扱ゃれか柑E・3子、松、梅、杉、羊歯、椿、それぞれがその姿がわかる程度に程く雪をかぶっているのが洛巾の雪であろ先日からの古の度に胤山や嵯峨町へ出かけてみようとしたのだが、用事をすませた頃には雪も降りやんでしまっているu冬の嵐山は渡月橋のうν乙のあたりから路の両側に雪一が主景色もいいが亀山公悶の奥から保津川の上流を見下ろす眺めがいい。いつか降りしきる主の川田を白鷺が飛んでいたが見飽きぬ美し嵐山は降っている長巾が良いが、積もった雪なら大原の寂光院が良い。市内に少し降ればあの辺なら二三円はとけずに伐るこの冬のように雪が多ければいつ行っても雪景色が見られそうである》その上色々な冬の植物を眺める来しみもあるο←比いい午前中少し時間のとれる日ができたので早速でかけてみたじや京都の街を山はずれる山端辺までくると山が迫り似山や花背の山の白さがくっきりしはじめる。そして気温もまるで追ってくるν日栴巾から格外に山たという乙とがはっきりと分かるu八瀬の山−u.を通る道も今で乙それ動車が頗繁に行き交っているが汁は随分さみしいものだっただろ伐りはじめるο花尻橋を過ぎると大原の旦が見渡せるが朝の光に雪が映えて今円はとであるυても明るく、いつもの冬の円安り空の下で見る印裁とは大分違う。寂光院の石段を上がると、庭の南天の亦さが砧もった台を背にして朝の光の中でまばゆい。木堂右手のほの奥に勢いよく落ちかかる滝の水も明るく晴れた雪景色の中で見るとその清例さだけが感じられて、門主り日の寒々した感じではない。流の水をひいた池の周囲は厚い雪に認われていて、その中から首を出した万両のるu庭の所々に椿や山茶花の木があ葉が大事そうに赤い実をかかえているが、あまり花はつけていない。少し寒すぎるのだろうか。だが来る道でも政光院でも最も雪の中で回立つのは南天の実である。子供の凶雪兎の自に南天の実をつけたのを怨い山す。山茶花の花も白を好む人が多いようだが、雪の旦では必い花がほし大原まで来たついでに三千院にも寄ってみたが、寂光院のように栴北の山寺という風情はなく寺宝も多い。寒さに白けず乙の辺まで足をのばす観光客も多い。余程京都が好きなのだろうοタクシーで二人、三人とやって米て静かに冬の大原を味わっているようである。三千院で好きなのは山門前の石垣の雪道である。新緑の頃の青々した光の中も清々しい。でも界秋は人出が多過ぎてもう何年も来たととがない。時間がゆっくりあったので銀閣寺にも足をのばしてみた。向動車で二十分程の距離なのにもう雪はない。庭園はいつもながら子入れが行きとどいている。選い冬山エを大原から銀附守まで見てまわったのは、冬の山茶花を見るためだったのだが案に相違してあまり見られなかったυ家の庭の山茶花でも乙んなに美しいのだから雪の名園で見ればもっと出晴らしいに追いない。或いは格日一のある銀閣寺なら少し変った花も見られるのではないかと思って川かけたのであるが、その点では大した収位はなかったものの、久しぶりに半日洛北で過ごせたのは有難い乙とであるο近頃山茶花をいける乙とが少なくなったが秋には大低一度は生花としていけたものである附古に使う山茶花は桃色で枝ぷりも単調なものばかりだったが部びた味わいがあったし好みの姿を求めて校どりの勉強にもなった花材であるυ山茶花のけ川和は大別すると三砲に分けられるそうであるυ野生の山茶花は九州、四国南部にあり、その形(六j可宅j庄の寒椿系の山~;:/t獅子頭)(さざんか)2 イじr r r Aふノ,E、

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