テキスト1984
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し白らび桧そ曽伊吹椿隅笹くまざさほ同りめもどき古典的ないけ花は型通りいけていると工夫が起りないような気持がするし、型をはずすと何となくおさまりが悪い。型通りいける稽古を重ねている間にいつかその山生K令った上で生き生きした花が入るようになり、少し自分の持味も山てくるυ多くの人々が、それぞれの流派の花型に従って古典花をいけているが皆自分の流儀の花が一番良いと信じている。どの流儀にも古典花にはその典型とされる完全に近い作例が伝えられており、それは万人が納得できる美しさをもっている。大切なのは向分の習っている花を素直に守り続ける乙とであり、それには良い仲間も必要である。個性をおさえである一つの典型に近付いてみようとしている聞に自分の良いととろが花KKじみ出てくるようになれば、それがその人の個性である。流儀というものはお互いが花を中心に気持を洗いあう場であるといってもいいのではないだろうか。父もよく自分の個性、花の個性を大切にするように言っていたが、それは自分のいけ花を完成させていたから乙そ言えるととではなかっただろうかと思っている。花村若松三光松松の苔木木爪寒菊梅の苔木う枇杷の大葉水仙梅擬花器淡茶色脆花瓶水盤は大抵内側花美しい模様が拙かれている。その中でもとくに好きなものは生花のように足もとをまとめていけられるものに使いたい。乙の水盤も好きなものの一つなので、盤面を大きく見せるため足もとを細く見せようとしている問に全体がやせてしまったようである。主株の木爪は真、副と胴は一枝で作り、留、控は白椿の五体子株のアイリスは、花を真、副、花盤胴、葉だけで胃、控を作った五体となっている。花留には小石でかくしたりする必要のない七宝を使っている。いけ花の面白さは、どんなにいい花をいけてもせいぜい一週間しかもたないというと乙ろにある。古典的ないけ花は絵として残っているだけで、工芸品や絵画のように現物は残っていない。自分の家にそれが欲しければ自分で習って飾る以外方法はない。絵のように買ってい米て飾るというわけには行かない代りに、習えばそれが誰にでも再現できるという楽しみが与えられている。花材木爪アイリス花器近藤豊作水盤古典10

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