テキスト1984
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トhwはまゅうはまおもと己んべき山しゆっ崎しよとうよんだが、それはいけ花人の話υ花にまつわる色々な事柄は名前先円の秋朗研修会で、京都植物園の木幡凶長が、植物に親しむにはまず名前を覚える乙とu名前がわかればそれがどんな所で休まれ、育つのか、そして一族にはどんな花がいるのかを知ることができる。了度初対而の人川同志がお互いに知りあって行く過程と同じ乙とで、花と親しくなるための第一広であるとき門っておられたνだが物言わぬ花からは何も聞き出すことはできないので、こちらからその生い立ちを探らなければならない。一両山に住むようになった花、海岸を好むようになった花、成いは一つの花が何千年もかかって旅を続け思いもよらぬ遠くまで拡がって行くを知ることによって植物学の助けをかりる乙ともできるようになるのであるο杵のいけ花人もその時代においては最新と考えられる植物学上な知識を十分持っていたuそして生花や立花では植物の仲止い立ちを丹念に観察し、知り得た向然の作育状態を目を通した植物の生態学と言えそうである。現代の植物学から見れば随分誤りの多い乙とを指摘されるだろうが、真面目にその時代の植物学を知ろうとした態度は現代にも大切な心掛けであろう。アマ・クリヌム作例にアマ・クリヌムをいけたがクリヌムというのは彼岸花科の浜万年青属のととで浜万年青は浜木綿の別名である。乙の積属にも多くの品和があるが、アマクリヌムという名は多分何かと交配されてできた園芸品種名なのだろう。淡いピンクの花で、花も葉もアマリリスに似ている。花の色によくあいそうな紺碧色の四角い少し形の変った花器をえらび、明るいが静かに見つめられる配色を考えた。深い花器なので中に砂をいれ剣山を附いて花を帰している。乙の花と葉だけの形では有に弔心が傾いているように見えるので、左にも何か加えたい。だが余分な花を加えて静かな配色をこわしたくないので、中間色で灰色がかったユーカリの緑で左右の均衡をとってみた。大体予想した通りの感じにいけ上がり菅が次々に咲いて行くのを数日間楽しむ乙とができた。私達の流儀の盛花や投入れでは、花材を二聴か三種でいける乙とが多いようであるu乙のテキストのいけ花でも盛花・投入れが作のうち三和いけが一作であとの凶作は二都いけとなっている。花のとりあわせは酒類が多くなるにつれて無意味な花ができてくる。はじめから五種も七種もの花で杭古すると、どの花を生かせばよいのか見当もつかず、そんな稽古を重ねていると、しまいには花の色に対する感覚も鈍くなり、ただ2

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