テキスト1984
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AQ2 10 ぬぼ寒捜菊毎月やっている生花の研修会は現在五クラス。それぞれ楽しく出席していただいているのではないかと思っている。中には生花を敬遠していた方もあったに違いないが、何事によらず自分でやってみて初めてその面白さや良さが分かるものである。だが・つまずたゆまず技巧を身につけ、花の自然の姿を注意深くみつめ、先人の残した花型に何が語られているのであろうか、ということを考え続けるのは努力のいるととであり、一種の修行であるかもしれない。ただしそれが苦行になってはいけ生花研修ない。花をいけるのは本来楽しい筈のものなのだが、柔軟で優しい気持がうすれてくると、花を手にしてどうにもならないやりきれなさに悩んでしまうのである。う私にとって最もよくないのは自惚れや人を感心させてみようという魂丹をもって花をいけるととである。それよりも良い花が手に入ったなと喜び、何とかその花の美しさをそ乙なわないようにと念じながら、いつの間にか無心に手を動かしているうちにいけ上がり、静かにその姿を眺めたとき何ともいえない幸せを感じるような花をいけたいと思っている。生花の研修会もお互いがそんな気持を味わえるところまで続けた6

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