テキスト1984
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きびこのいけ花は十月のかよう会で、素子がいけたものなのだが、講評の聞に気付いたことを記してみよう。山査子の実と、梅擬の実に対する感じ方がまるで正反対なのである。私は梅擬に山村の秋を連想し、山査子には都会的な明るいガラス玉のような赤を感じる。と乙ろが素子は山査子は田舎の秋祭りのような実だと感じ、梅擬の渋い紅粒の色を都会的な好みだという。素子がとのとりあわせでいけはじめたとき、私は山査子を使えばいいのにと思っていたのだが、いけ上げたのを見ると梅擬の紅粒はなるほど渋く落ちついて都会的な色調K感じられる。洋風といいかえてもいい。考えてみれば花にはじめから和洋の差がはっきりとある訳ではなく、和風にいけるか洋風にいけるか、或いはそのどちらでなくても良い訳である。ただ和風にいけるつもりが、とりあわせや形のとり方が適切でなく、何となく中途半端な感じを与える花はよくない。良いいけ花というのは自分の感じている乙とが素直に形になったものだろう。直立した黍とユーカリを併立させると渋い色調と強い形がユニークである。乙の構成にそえる花は色々考えられるが、乙乙では花器の黄色にあわせて金茶色の菊を則いた。表紙の花ガーベラ(白)梅擬(うめもどき)花器茶色手付深鉢5 .b. コネ|’l

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