テキスト1984
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りんどう杜ほと鵠とま草す、おみなえし、季節を失ったように、一年中花屋の店に並べられているカiネ!ションでも、乙の龍臓のような秋草をそえてやると何となくその季節になじみ、宴席の卓上花として飾られているときよりも生き生きした表情を見せる。龍脈は信州の高原で栽培され、五月頃から私達の所へ届けられるが、秋も深まってくると、茎が焦茶色に焼け、花の色も鮮かで高山の野生のような感じのするものを手にいれる乙とができる。秋草には名前にひかれてつい買ってしまうものがある。龍舶をはじめ優秀な栽培技術で立派に育ち過ぎたものには秋草という情緒がけしとんでしまっていて、いくら秋の風情をいけようと頑張ってみても感じの出ないのがある。今私の家の庭に杜鵠草が咲き乱れているが、花畑で夏を過ごしたものと迷って茎もしなやかだし葉も柔かく、満開の花の色が落着いた秋の色を泌えている。Hリやきふぱ己花器として樺の文箱を使ってみたが、木来カーネーション向きな感じのものではないのに、季節感の溢れた龍臓といけあわせてみると静かないけ花になってくる。文箱の中には同色の落しに剣山をいれ、卸価位に切ったカーネーションを四方になびかせ、龍臆を低くそえる。鳥兜などは、カーネーション(ピンク)音量膳(りんどう〉花器棒(けやき)文箱4

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