テキスト1984
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鳥とり兜Pぷとはど存知のように根に杭奇がおとにえしおって毒矢に使ったというが、普通いけ花に用いるのは花鳥’山という租類で毒性は弱い。九月から十月にかけてよくいけられている。京都近辺の山地でも鳥兜を見かける乙とはあるが、父の花材採集日記を見ると、九月初旬滋賀県の比良山、伊吹山で沢山見付けている。昭和二十一年、敗戦直後のことで現在のように花屋に花が泌れている時代とは違い、稽古の花材に変化がつけたければ自分で見付けてくるより仕方がなかったのであるυ九月の三日には比良山の八雲が原で男郎花、鳥兜、白花紫苑、向子、白花虎の尾等を一瓶分とって帰っていけている。記録によると山の鳥兜の水揚はあまりよくなかったようである。中二日おいて六日には伊吹山へ出かけている。朝六時に出かけて帰りは夜の十一時、「乙の日疲労極度に達し、翌週水曜日まで足痛む。身体日焼のため一週川後皮むける」と記されている父は山へ花を見に行くのが好きで、私ともよく出かけて気に入った花をかついで帰ったが鳥兜Kは出合っていない。いつか沢山とって帰って供えてみたい。花材v兜盤花器鳥兜の株分け挿色7.k / ~~\ 淡薄烏茶\ 9

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