テキスト1984
107/137

てもとしゐく己はづくるυ危いところで別のルl卜からや早くから紅葉する満作とちがって乙の七竃はまだ少し色付いただけである。実の方はもうオレンジ色から朱色に変ってきている。七竃は春の芽出し時分から、晩秋落葉して実だけになる凶までいけられているが、水揚げの一番いいのは新緑の季節であるuいけておくと枝先の国い新芽が日に日に成長して小さな葉の形がととのってくる。毎朝水をかえるのが楽しみな枝物であるい夏になると緑も濃くなり、一見しっかりと水を揚げそうに見えるが詐先ほどはよくないようである。七竃の名前を覚えたのは中学校二年生の夏休みに大台ケ原山へ行った時の乙とである人で朝早く家を出て大和上市へ若いたのが昼前頃だったと思うuそれから大台ケ原山へ登りはじめたのはいいが、途中で日が暮れてしまったν今手許の地図で調べてみたら直線距酬でも初伽以上あるのだからψ!然なことだったようであるuお腹はペコペコで消耗しきっているので切mも歩くと座りこんで居眠りしそうになってきた大学生に山合ってパ気付けられてようやく宿舎の大台教会にもどりつけたυフラフラしながら歩いていると近くで「ブッポlソl」と木の葉木菟が鳴いていた。「あの七簡の木の上にいるらしい」と大学生が懐中電灯で照らしてくれた木が七同級生と、弟の三るν乙の姿で作有している枝物だから電だったそして「七度竃へいれでも燃えないくらい水気の多い木だからそういうんだ」と教えられた》竃をいけているといつもその事を思い出してしまう。それでも元気なもので、翌朝日の出を山頂へ見に出かけたが、紫色に畑る山並の遥か彼方の熊野灘から登る朝日を眺めつつ、何か幼稚な感恕を語りあったようである。春の山と、秋の山をくらべると、花の春よりも、紅葉の秋の方が強い色彩におおわれるuとくに一片山で七竃の大きな群落が一斉に紅葉したところでは、這松の緑との強烈な対照が見る者に深い印象をあたえる。枝が重なりあって量感をまし、紅が重なりあって色に深みがましてく七竃は枝葉が多いu深いく紅れなのい量感をいけようとするなら相当大きくいける必要があるu実際秋のいけ花展で見る七竃の大作の深紅のかたまりは楓などの紅葉よりも強い美しさが感じられるνだが普通の大きさの投入としていける場合には思いきって枝葉を整理し、秋の静かなたたずまいを見せるようにいける》秋草に多い優しい紫系統の花は菊の濃い緑の葉や七竃の葉の深紅の刷では目立たないし、目立たせようとすると多すぎて重いν作例ぐらいに整理してはじめて、秋草と紅葉のいけ花となるν竃カ〉まど七菊(ピンク〉桔梗v七d花器柿色紬花瓶3

元のページ  ../index.html#107

このブックを見る