テキスト1983
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西欧的な意味での芸術家たらん乙とを目標として米た。米してそれが正しかったかどうかが昨今ようやく問い臼されつつある。日本人論に閲する著述が多数山版されているのは、同様な疑問が名分野で起こってきたからであろう。日本の芸道は西欧的な史学に応義什けられる芸術というものの随時には入らないものと私は布えている。そして芸術という言葉でいけ花を表到するよりも芸道とよんだ方がいけ花の本質をより正しく捉えれそうとする努βがなされるであろう。地球上の多様な風土に打った様々な川心惟方法はそれぞれが正wJNをもっており、ヨーロッパで育ったものもその一つであると考えられるようになってきたのはどく最近の事である。地球上の各地方の交流が飛躍的に容易になった現在、多様な文化のそれぞれの個有性の意義の重要さが認識され始めている。総返して述べるが、いけ花を気軽に西欧的な意味での造則芸術の考えず、日本の風土の生んだ芸道として捉え、その独白性を正しく知って身につけて乙そ一つの行広義な文化として世界に封供できるようになるのである。円木の伝統的な芸道の良さを保ちながら西欧芸術のすぐれた所を摂取しようという考えは、いけ花にとってw|分危険なものであると思っていいだろう。私が育った時代といえば昭和に入一五の追いも知らず、能を見に行って一つに入るとってからであり、明治以来の近代教育もようやく軌道にのり、音楽は五線講で門い、絵はチューブからしぼり山した絵具を洋乍で仙き、国語に狂言が出てきても、ただ凶作読みするだけで一体どう演じられるものかも知らずに過ごしてきた。だから円本の伝統芸能に関しては外側人問機の出しぶだったといえる。いけ花といっても絵具や粘土が花という材料に変ったもの位にしか思っていなかった。外凶人、とくに西欧人はいけ花の中でも生花や立花に最も興味を,一小すらしいが、私もいけ花をはじめた時、同様な反応があった。一長唄と清も府眠ってしまうような私にとって初めての経験である。まず生花から習い山川し、立花と進んで行く聞に、それまでにもっていた芸術観は生花や立花には辺朋しない乙とを少しずつ感じるようになってきた。花を立北や生花のようにいけ、枝や葉も花として扱い、葉一間三枚に何かを感じさせるようになった民族と、花を色として扱い見事な装飾に仕上げる民族との植物に対する見方の違い、美意識の抜き難い迷いがあるのではないかと考えはじめるようになってきた。にもなり得る。「おのれ、伯き奴」とか少し州の恐い一日い方では、われという言葉も一人称代名詞であると同時に二人称代名詞としても使われている。それは人間や門然の理解の傾向に深くかかわっていることであろうと考えられる。大智禅師の山の巾・・に人見レ山守山見レ人という部分がある。向日己と山との相互感応を述べたものだが、西欧的な主闘が客観を、向己が対象を認識するというような一方交通的なものではない。一つの天地にある者同志とUっているような青葉である。西欧的な感じ方でも|山は呼んでいるーとか、ー樹々の噛きlとか表引されているが、それは擬人化された山や樹々に寸枯らせているのである。白木人にもそんな表現が全然ないとはいえないが、その奥には擬人化されていない山や樹があるようだ。見に道一五禅師の、「我人に逢うなり、人我に逢うなり、人、人に逢う、我、我に逢う」という神話の巾の人という宇を山や樹におきかえてみれば史によく分かるのではないかと思う。松は松で厳然と静かに音もなく、泰然と座る山と自己が相互に感応しあうと胃う。それは時をも超えて起乙り得る乙とでもある。芭蕉の「松の下は松に刊行え、竹の事は竹に朝日え」という言葉も志はその辺にあり、「句作りには、なるとするとがある。内に引に劫めて物にいわずれば、その心の色が旬となる。内を市に助めなければ、ならないから私意にかけてする旬になる。」とその道程を語っている。乙のような感党が恵まれた乱土の秋社鵠花器中ι芽生え、いけ花も育ってきたのである。いけ花を考える時、日木の植物的自然が背景に考えられる。米作文化も渡来以後急速にひろまったのも恵まれた向然条件のお蔭である。以来日本では極端に言えば米だけを頼りにする乙とのできる農業国家になったと二一一円える。米が経済の基木単位であった乙とは、大名を合めて武士階級の経済脱税をあらわす数字である乙とが明治になるまで続いたことでもわかる。日本人が胴長になった原凶は米から栄養の大部分を摂取するため、腸が長くなり、長くなった腸を嗣に収めるためにそうなったという学説さえある。勿論米を中々口にするととのできない山村の生活もあったではあろうが、他の雑穀で補うζとが可能であった。稲作に頼る植物中心の環境で暮らしていれば門然に四季の草木の状態を稲作と結びつけて感じとるようになったのも可然といえるであろう。界らしの中心が狩猟から牧苔に移り傷つければ悲鳴をあげる動物を相手に五らす西欧的な風土に育つ感情と稲を相手にれらす民族とは情桁が異ってくる。西欧人が動物を見る目が鋭いのと同様、日本人の植物を見る心は非常に豊かである。桜の咲き具合でその年の作制を感じとり、畦道の雑草からも何かを知る乙とができた。言例l嬰葉え!床日でばさ木あお・が諮るの・みでとれ・らは同とれ手||時いる己lζうとと相のい他手はわ者を円れと指分てのすをい広三ー指る月lj業すoIC. 男山JI花(おとこえし)(ほととぎす)(青磁f!J瓶)必j船LiE一tJ1 J、4

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