テキスト1983
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’hυ m川ことに使った松明花はモナルダという学名でアメリカ東部原産の花である。管状の花冠が真紅の松明の炎のように見えると乙ろから名付けられた。紫蘇科の花で日本でも育てよいらしく時々庭先に見かける花である。野草の感じも残されているので一輪挿にするのによく、そのために植えられているのであろう。和宅向きのとりあわせにもよくあい、日以櫨、為朝百合のとりあわせにそえるとしっくりとおさまる上に、明るさの焦点となり、全体をひきしめる役にもなる。夏植は小葉のよくしまったものを用い、右前に葉を少しすかした枝を出し、その後には葉付の少ない枝を少し長自に続かせ、順次小枝を真後まで挿して行く。為朝百合は花が大きいので、長々と、のびやかに感じられるようにいける乙とが大切である。花にくらべて茎が細いので垂れるようになって当然である。為明百合と足櫨で形がととのったと乙ろで松明草を加える。ありふれたとりあわせの中に、日頃あまり使っていない花が入ると、いけたあと、いつものいけ花より興味深く見るようになる。鉢植の野草を買って育てたりしている問にその知識もふえ、花屋に変った花が山山ていればすぐ固につくようになる。いけ花の楽しみもそんな所から大きく育つ。「きもの」は布地としては世界で最も美しく、洗練されたものの一つであり、日本人が誇り得る文化遺産でもある。誰もがもっと気軽に着られ、そして永い聞かけて作り上げてきた色刷、着こなしをもう一度とりもどせたら白木人の情桁性にももっと磨きがかかってくるに違いない。日本人の独自性についても色々な面をはっきり知る手がかりにもなるだろ・っ。そのためには今のように高価な、儀式用の「きもの」より、いわば入門用の「きもの」が安価に豊富に山まわらなくてはならないのだろう。できれば中学校ぐらいから、家へ帰れば一人で「きもの」に着かえる、といった程の乙ともあっていい筈である。このままでは消えてしまわそうな「きもの」の伝承は現在の母親にそれを求めても無理なととである。東レでは気楽に試者でき、選択の助言も加え、その上買いやすいような価格の「きもの」を考えておられるようだが、それで「きもの」対する慣れが育っとすれば長晴らしい乙とである。女性忙してみれば「きもの」屈と仰言るかもしれないが、我々男性は夏にも上新を着、ネクタイをしめて満員電車にゆられて仕事しているのである。それにくらべて女性の現在の服装は楽すぎるように思う。荷物の女性に惰れているのである。は窮ル町ネ慮松明fこいまつ夏花に為朝百合ためともゆり前焼花瓶5

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