テキスト1983
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き乙りなたさハろうじ小楓屋板「カゴ」という−一一一日葉の語源は知らないが、軽さ、風通しの良さ、何か大雑把なもので附われた山じ川、中が見えるもの、そんな乙とを述怨する。篭自体の怪さの故KEたそうに見える花は不向であり、風通しの良さから夏場の花器として用いられるζとが多い。室町時代から笥は花器の一一位として使われはじめたとされているが、それは中岡から輸入した敏密な編み方の唐物篭のようであるοだが時代の変らぬ聞にすでに「菜従」という日用雑器に花がいけられたことも「仙伝抄」に記されている。活の花棋は中川から学んだ牡丹篭のようなものがその木抗ではあろうが、日本ではむしろ日用雑器の形をとりいれ、その大雑把な感じが好まれている。魚篭や箆のような漁具、木樵の蛇篭、武士が矢をいれた収培、農村の草刈篭等がそのまま使われたりしており、Xそれらを洗練して花器として仕上げていったものの方が唐物篭より親しみをもってU常使われているようである。篭花入れは茶道と発展を共にしてきたので使い方の神的も茶目逗での美観を主にして考えられている而が大きい。現代の生活様式の中で、古い約点干に料られていてはかえって問の抜けた使い方になる乙とさえあり得る。篭Kは敷板を用いないととにびくゃななっているが、周囲の色彩や切るさによっては敷板があった方が良い場合もある。又魚釣りに使う魚篭Pの川市がはの川に円に泣かれているのを見ると、それが例え革路風の茶・引であっても私は落者かない。腰に九刊…箔をつけて似を釣り歩いているうちに生共い水以がズボンを通して長靴の中にたまってくる。その感触が抜けないせいもあって床の間の去が汚れないかと心配なのである。さてこのいけ花の乙となのだが今年は格百合の出方が少し巡い上に花が小さいように思う。それでも大きめのを選んで開花三輪、常二輪に板屋風だけをそえた。大きな葉面の重なりあう板屋楓をとりあわせた場合、位百合はそれだけで充分その淡桃色が尖しく見られる。他の花をそえてその色をひき立たせる必要はなさそうである。細い笹百合を薄のような葉のものととりあわせるなら何か他の花もそえるべきで、例えば桔梗や小輸の鉄線等変っていなくても品良くいけ上げられればそれに越したととはない。白竹の篭に竹の落しを使っていけているが前後左右の重さのつりあいをよく考え、形の良さに気をとられず安定した姿を求めてほしい。篭についている務しは使用後よく拭いて必ず篭と一桁にしまうζと。なくすと代用品ではうまくいけられないものである。メ入口百笹花器白竹手提篭4

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