テキスト1983
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慌しい年の瀬を送って、どの家もほっとした気分で新年を迎える。色んな年中行事の最初が元日なのだが様々な宗教の混在する日木では、一年の問に随分多くの日が何かの理由で意味をもっているοそしてその日に因んだ行事が行われるυ中にはどうも合点のいかぬものもあるが、それでもその日には何と、はく決まった事をやってしまってることがあるυ白木の自然に根差したものでもあり四季を彩り、暮らしに判いを与えてくれるものとして大切にしたいものである。Xそんな風刊のお蔭で四季の感じ方も豊かになり、美しいものへの目も聞けて行くのであろうυ私もお正月のお祝い事は好きであるが、それは子供の頃の良い想い出につながっている二冗日の朝、枕許に用意された新しい服に手を通し、まだ暗い聞に父と近くの八幡様にお話りしてから制膳についた頃の記憶には多くの事が織りこまれているυ元日の早朝の空気の感触、八幡様の焚火の色や煙の匂い。父と母の新年の挨拶のやりとり。改まった調子で私も挨拶する。その席での演出として、お屠蘇やお節料理も大切なものであろう。そして部屋に漂っていた北円から続いている行事は梅の花の香りもはっきり惣い出せる。祖父は毎年若松の生花を自分でいけていたυ成る年、母の棋で若松の生花をいけていたら「まあ、まるでお祖父さんそっくり、手つきどころか、息使いまで同じ。気味が悪いみたい。」と言われたことがあるοいつの間にか一つの型が身についてしまったのであろうυ年賀K行くと相父は床の間の前にゆったりと座り、次から次へとやってくるお容に挟拶を返していたνそんな中で見聞きするものの中から美しい風習を覚え、情緒が育まれて、或いはいけ花となり、諸々のことに及んで’身の廻りの作いが整えられて、その人の人柄が作られて行くのであるο一月は行事が多い。七日の七草粥や十五日の小豆粥は省略している家が多いようだが、私の家では小母さんという年寄りのお蔭で続けられているυ十六日は薮入り。同踏を用いていた頃、季節の区分として二十四節気に分け、それぞれ良い名がつけられていたυ暦(ζよみ)を見れば書いてあるζとなのだが、その中から好きな季節名を拾ってみようυ雨水氷雪解け雨水温む啓塾冬簡りの虫声を啓く清明草木清明風光明如穀雨丙殺者雨に潤う寒露大雪暮になると新聞屋さんの配達してくれる新しい麿(乙よみ)には日本の風土にしみついた季節の感じ方が古風に表現されていて中々楽しい読み物であるυ季節の移り変りに応じてお祭や、古い習俗も京都では律儀に守られているυ何しろ二干に近い社寺があるのだから毎日ど乙かで祭りや行事が行われていて当然である。そしてその社寺とは何代もかかわり合いがあって市民それぞれのものになり切っているυ行事が季節を区切ってくれる暮らしの中では、四季の花の乙とも覚えやすい。去年の桧一周と今年の秒扇の違いは祇悶祭で感じ、お火焚きさん一一月十九日(十一月八日)の頃の水仙の値段を比較してみたりする。古めかしい民三月六日俗行事は近頃の若い人達にも興味深いらしく、一頃すたれかけていたも四月五日のも息をふきかえしてきたようである。お正月の行事を昔通りにする事処暑白露四月二十一日暑気退かんとす八月二十四日気界冷露白し九月八日気寒く露霜重し十月九日霜結んで厳霜白し十月二十四日天地闘寒雪降る十二月八日苔E吋関つつ商じの生花を子供達も要求するし、祇園祭には私より熱心に町内に協力しているようである。そんな姿を見ていると、京都も変貌したように思われているが、町民としての四季の受けいれ方は、百年前と余り変ってないようである。少しずつ時代に合わせて修整されながら、乙れから先幾世代にも京都の風物は伝承されて行くに違いない。そして年中行事というものは続く乙とによって年々磨きがかかって行くものである。それがいつしか伝統となり、人々の暮らしの節々に制いを与え、或いは心をひきしめる役割も果たしてくれるようになる。年中行事には守った方が良いものが多くある。お正月はちゃんとやりたいし、節分には吉出神社にお詣りして豆撒きをする。そして季節、季節を深く感じて暮らして行きたい。小さな生花で、花器もいれて高さって、六角形の簿端に挿した初冬の生花である。表紙の花小粒の美しい霞草。部屋の隅にも良いだろう。霞草叩mk満たない。留に悲菊をあしらパンクシアサンセベリア花器・ボヘミアン、グラス年中事R時司司ヨ降イ了3

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