テキスト1983
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たわらや息抜きにどとかへ出かけるとしたら、海の見おろせる所がいい。制の香につつまれながら、心小平線に夕日の沈むのをぼんやり眺めていたい。西に傾いた太陽が紅くなりはじめ、何く夕映えを残しながら、やがて附くなるまでの時間は案外短が、その問、心がきれいに明白になやすらぎは、そんな刊かな一刻があれば充分柑たせるのではないかと以きたくなっても京都からでは行先をきめかねるのが常のことである。落ぃ。何を巧えるでもなく、ただ夕日花見入っているだけのととなのだっていたのをタ問の訪れにふと我れにかえった時感じる。息抜きとか、っているu私達がたまに骨休めにど乙かへ行ちついた部屋で、手入れの行届いた庭を眺めながら食事を楽しみたいだけなら別に京都を離れる必要はない。洛巾に格外、或いは向宅でも得られる楽しみだといえる。山紫水明な京都の風景に欠けているのは海だけである。仲抑制や南太平洋で眺める海の透明な美しさは神々しいほどだし、帰るのが品川しいような気になる。だが一寸山中抜きに出かけて行くにしては遠すぎる感じである。近くで、というととになると、瀬戸内海、紀伊半品のどζか、或いは新幹線の沿線で二.三時川で行ける所がいい。そんな目的で同かけるなら、泊る所はやはり旅館が良い。それも部屋数は二十本以下で行き川いた心遣いの感じられる所に的りたい。ぷ子の友人の依尾の佐藤さんに問い合わせた処、熱海にお望みのような旅館があるからと制介されて削って来たが、依屋が抗的するだけのζとはあって気持よく三日間を過ごしてきた。伊豆山の斜面に建てられているので眼下に相模湾が一望できる。部屋の広縁に小机を出して一日倦きもせず海を眺めていた。縁側のすぐ下の斜面から海岸の道路までの間には楠の大木や満開の梅と同時に桜も咲きかけていて、天気はよく風もなく暖い景色というより形容のない良い眺めであった。翌日もぼんやり座っていょうかなとも思っていたが、MOA美術館の尾形光琳の「紅梅円栴凶」を是非見たかったのでタクシーを呼んでもらった。救世教が昨年完成させたもので、同宝や品川要文化財が数多く所蔵されている。熱海の桃山にあって知のない斬新で長輩な美術館である。山腹を一一川米ぐらいエスカレーターで登ると広場に山る。へンリ10ムーアの「王と王妃」の像がおかれている。二人が大海原を眺めているようで、乙の場所のために作られたもののような感じを・つける。東京往彼の途中時間を割いて見てこられる乙とをお山めしたい。一一日間好犬に忠まれたが、三日目の帆起きると雪が降っていたのには驚いた。前日MOA美術館・の辺りでは桜が満開だったのだが。夕方、久しぶりに川奈ホテルに行って強い風と、流れの早い出を眺めながら食事をした。MOA美術館というのは世界海の見える宿A ~IHのlrJJ乙うに伊立、,土1;』が連らなる0.... }よ械から相般的が一望できる。

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