テキスト1983
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花器角焼締花瓶固いビスケットのような地肌に、丸い穴をあけた角瓶。ふちはくすんだ緑色。パラは明るい赤。右頁のいけ花と似た配色である。アカシアは切花として売られているのは銀葉アカシアが花序が大きいので主になっている。銀葉アカシアは花は美しいが、葉が多すぎるのでミモザアカシア(房アカシア)のように見せるためには葉をとらなければならない。ζのミモザアカシアと銀葉アカシアの他に花屋でみかけるアカシアに三角葉アカシアがあるが、花をつけてないものが多い。両方共花期以外にパステルグリーンの葉を利用する枝物としても扱われている。又北海道でアカシアとよばれている白花の街路樹は針楓(はりえんじゅ)でアカシアと同じ豆科の樹木ではあるがロビニア属の全く別種の植物である。花期もアカシアよりおそく六I七月頃である。ニセアカシアともいうが、乙れはあいまいな名前であって、その白花は美しい。さえかければ米だけで我々に必要な栄養をほぼ満たすととができてきた。農業に頼るだけで暮らしが成り立ってきたお蔭で植物に対する愛着も大きいし、又自然の恵みといううけとり方での植物の観察も行届いている。その上日本の野山には猛獣や毒蛇も少なかったので、自然の懐に安心して身を委ねる気持が育っている。だから日本人は植物を中心にした自然に対してその感性は非常に敏感であるといっていい。家に花がいけられていると何となく安心な気持でいられる。その気持は別に日本人に限ったものではないにしても、日本人には特に強いように思える。色彩の豊かな花を大量に花瓶に槌れるように掃しておくというのでなく、一枝一枝の生長の過程を感じられるようないけ方をする処に日本人の植物に対する感受性の特異さがあるように思える。いけ花というものを一種の装飾美術と考えるなら、ヨーロッパで発達したフラワー−デコレーションの方が色彩の使い方においてすぐれているし、造型芸術というには、芸術の範障におきめきれない多くのものを含みすぎているようである。いけ花というものは、これから先も、うるおい、とか風雅、気持のゆとり、自然の恵みといった論理になり難い言葉の中で息を続けて行くに違いない。アカシア. ノミ9 フ

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