テキスト1983
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花杏緑紬一周壷アカシアはもともとはオーストラリア原産なのだが、ミモザとして、南フランスの海岸地方に多く野生化し、リビエラ、カンヌの花の代表である。二月の開花期は山一面鮮かな黄色に覆われる。ところが切花として眺めると葉が目立ちすぎて黄色い花は雲のようには見えず物足りない気分がする。ミモザアカシアの豊かな黄色を楽しむには葉を整理して、大量にいけることである。だがいけ花では花をつけていない時にもパステル、グリーンの葉をいかして用いるぐらいだから、花も葉も有効K使えば良い。アマリリスから挿しはじめる。二本とも花瓶の底までつく位の長さに切って、口から花がのぞいているような恰好にしておく。左右二枚ずつ葉をさしてからミモザアカシアの小枝をそえる。乙の花瓶は高さ約印佃、平たい筒で色は緑υ下の方が淡い土色である。厚みがないので重いものは不安定でいけ難いが、乙の分量で充分な花器である。アカシアとのとりあわせとしてはスイートピー、アイリス、鉄砲百合、海芋、カーネーション、ポピl、アネモ、不、ガーベラ、グラジオラス、ストック、チューリップ等明るい洋花がむいているようである。テーブルの上にもよい花である。地球上の生物は植物と動物に大別される。私達動物の側から見ると植物の生き方というものが大変不思議なものに見える。動物を相手にする場合、例えば犬の行動を見ていると人間と同じような欲求を持っているのが分かるし、問鈍さも見てとれる。芸を仕込んだりしていても、覚えが悪いと腹をたてて、つい叩いてしまったりする。ところが花をいけている時、思ったように入らないからといって腹を立て、花を叩く人はいない。自分の不出来な事を感じるだけで、動物を相手にした時と大きな違いがある。動物には人間の至らなさの責任を転嫁することができるが、植物に対してはできない。だから人間は動物に対してより、植物に対した時の方が素直になれるということがいえる。又動物からは例え小さな虫からでも、危害を蒙る乙とがある。植物から攻撃を・つける乙とはあり得ない。植物とは安心してっきあっていられるのである。花というものが安心して、素直に接する乙とができるものであれば乙そ、私達は花をいけていると心がやすまり、清められるのである。日本の気候や地形は植物の生育にとって大変都合のよい風土であるという乙とは周知の通りである。手間花とは:・:アカシアアマリリス8

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