テキスト1983
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るο夜の梅という言葉にはその香にお正月花としておいけになった栴も暖かい部屋の中ではもう咲き終ってしまった乙とだろう。栴には桜や桃にない香気がある。寒中締めきられた部屋の中に満ちる香気はその花よりも美しいといえよって暗閣の中のおぼ瀧ろげ気な花に気付く、といった感じがある。呑りに敏感な中国の文人達の書斎に好んでいけられたのも当然なζとである。人間は植物を目で見るだけでなく手で触れた時の肌ざわり、良い特りと悪口大、Uにいれた時の味等色々な感覚を通して知って行くが、その苓りは様々な形で生活にとりいれられている。薫香料としては神と結びつき、或いは身を香りで飾るため、匂い袋となり、ヨーロッパでは呑水の形になっていったν中国では宋時代には匂い袋が流行している。香料植物はロlマ時代には肉類の調理にとりいれられ、スパイスとして引代の西洋料理の基本的な条件の一つを作り山しているο日本では古代から香料植物の需要は少なかったようで、中国から薬科料がもた3りされたが、どく僅かな人の問で用いられたに過ぎない。薫香料として一般化されているのは、仏花という特異で繊細な文化の中で、花と共にその蒋りを扱う術が発達しなかったのは不思議な事である。かを深く考えるようになってくる。一つのものに対する世川的に権威のある評価と、向分開身の評価には必ず多少のズレはあるが、自分の好みを生かしきる努力が続けられているなら他人の思惑より、円分の評価の方がずっと大切だと忠う。別の例え方をすれば、私にとっては、気にいったものであれば一本五十円円のネクタイでも、三万円のものでも同じようK大切で、どちらもボロボロになっても的てる乙とができない。それに代る好きなものは中々見付からない、手に入りにくいものなのである。花器も心の底から好きになれるものは中々見付からないが、いつも気をつけて抹す努力は続けていなければならない。私の場AHM脱覧会廻りで探しているが、衝動買いにならないよういけ乙なせる白釦がついてから買うよう二人で注意し合っている。私達も花器は数がいるので、まあまあというものも買っているが、買う時にはそれほど良いとも思っていなかったものでも、使いはじめてからだんだん愛粁の増してくる花器もある。そんな乙とをくりかえしながら家に花器がふえて行くが、皆さんも自分がどんな感じの花器が欲しいのかよく考えた上で人の芯見を聞くのは良いが始めから人に選んでもらおうとするのは良くない。栴アマリリス一山中用の線香位のものであろう。いけ菜の花花器椙色紬コンポート9

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