テキスト1983
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りょうへん−c,pν 聞1の0栽培は一九六O年にメリクロ乙の花器は一両さが臼佃ある。暖かみのある柔かい白で、色は好きなのだが形がどうも私には苦手なのであまり使っていない。だがカトレアの強いピンクには乙の白い紬薬の色は最適なようである。そ乙で花器を少し斜にして細く見せ、木瓜と松をそえてみるとこの花棋の良さが生かせたように思える。カトレアは洋闘の代表のように思われているが、その盟かな山えしさからいって当然な乙とである。現花見られる大きく美しいカトレアは、カトレア属だけでなく他属の近縁の聞と複雑な交配の末つくり出されたものである。原種は中、南米の熱帯一口同地に野生し、色や形の種類も多い。だが私達の周囲で原和のカトレアを見る乙とは少ない。観賞用の聞の栽培は東洋でも古くさんから行なわれており、支那トれ闘や金松カ『特辺があり、乙れに寒附を加えて一般に東洋的とよんでいる。そしてとの東洋闘はシンピジュlム属なのだが何故かその一部だけがそうよばれている。そのせいかシンビジュ!ム属の聞は日本調ないけ花にも使いやン法という繁荊技術が開発されてか飛躍的にのび大量生産されるようになった。小型シンビジュームやエピデンドラム等も新古にも使われ私達には親しい闘である。私が私淑していた故重森三玲氏は「古代には。花。といえば、桜のととであったに逃いない」と常々言っておられたが、円本人と桜の間柄は少し他の花と追ったととろがある。成いは異常な、といった方がいいかも知れない。それは日本人自身もよく知っていることだし、桜に関する古物には必ずそれに閲して論述されている。重森氏によれば、春がめぐってくると、まず山に咲く桜によってその年の農作の吉附を占い、色々な予兆を知る手がかりとしたと説明しておられる。万葉時代Kは桜よりも梅が歌に詠まれている数が圧倒的に多いが、農民をはじめ一般の人々の土俗的な関心はむしろ桜Kあったと思える。梅は当時の知識人の刊で、中間から一絡に到来した菊と共に文学的な鑑賞が行われたのであろう。桜は農産に直接関係のある花だけに真剣に観察され、心に適った咲き方をした時人々は安心と喜びで一杯になり、その木の下で酒をくみかわし、山地り狂ったことであろう。それはひょっとすると稲作を知る以前の原始の社会以来のととかもしれない。それは現代の我々の心の中にも生き続け、桜の花の咲く頃になると、何となく落ちつきがなくなってくるようである。日本人と桜瓜木レア白粕変形花瓶4

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