テキスト1983
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なつはぜ己つようもの・1rレるu次に松の村枝には垂直に花瓶のづ令。竹の落し二つにそれぞれ雪柳の紅はじめから赤い夏櫨と違って、号柳や錦木は季節がとないと紅葉しない。栽培技術の進歩で自然から遠ざかった花も多いように思えるが、植物公体から見ればどく僅かなものであろう。月刊誌の依頼でとるいけ花の写買は、十月に発売される十一月号を、八月に写す。そんな場代他の花は何とかなっても一番凶るのは紅葉物である何とかとりあわせてみたいと抹し歩いても見つからないで残念な乙とが多い。そんな気持を味わっているせいか、めると無性Kいけてみたくなるυ京都には楓の紅葉の名所も多いが洛北では雑木の紅葉も美しい。時雨れそうな曇り空の下で見るその業の色は晩秋を深々と感じさせる。春の花の頃、夏の繁ったね献を思いおこしながら眺めているとその花に一層愛若がわくと共に真面目な気持で接するようにもなるο今回からは花も随分保ちがよくなり、写真のような敷板の上に竹の落しをおいていけてもしおれる乙とがない。明かるい色のテーブルセンターに洋花を飾るのにもよい方法であ葉を挿して上で交差させる。左奥の携しには水仙二木を加えて寒菊を前後にのびやかにそえる。右前の落しには内椿二輪、二輪付きの亦茶色の菊は短くてよい。雪柳咋の紅葉が山はじりο然しハるはにっと州生を考え法度をよけ、南天は伝統の古い花材で、立花にも生花にも名流のいけい刈があり、その定めの数も多い。変った使い方として立花に「南天の胴」というのがあるυ流組の初代仙濃が考案した花型で、「立花時勢粧」に「古人の指も3りしたる花形なあらたに指そむる物なり」と記している。自分で見きわめた花材を堂々と旧刊にとらわれずに自由にいけこなして行く所に初代の面白が躍如している。作例の南天は大きなもので、もとの高さは2メートル程あり、葉の拡がりも1メートル近くあったυ赤い芙も新鮮でしっかりと立ち上がった気持のよい盗をしているu立花の貨にも良い南天だとニ一一円える。その大ぶりな姿に従って花瓶も大きく重量のあるしっかりしたものをえらび、花器の底につく部分と、口のす同さの直径にあわせた桃配りに南天を針金でくくりつけてとめてい底までとどく足をつければたやすくとまる。菊は南天や松の足や横配りにからませて自由な方向をあたえるととができる。大きな柁材、或いは重い花材はそれ向体の重さを利用すれば案外いけやすいものといえる。(九頁写真)司、,ョ壬三ヨし、l乙ける柳水仙菊もu南天菊寒ネ春白μ8 敷板

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