テキスト1983
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紅白白。u家uト仔’s栴+台bq 朱塗りの花瓶に白椿を配して紅白としているυ花器に十台梅がよくあっているが、どうからみあったか一本の枝そのままを使っているυ柚子は社中の川喜多さんから頂いたものだが傷一つなく色艶が良いν椿の分量は乙れ位が適度で、多くなると上にのび上った苔梅がひき立たなくなってくる匂お正月にいけ上がった姿は御覧の通り納長いので小さく見える。乙のとりあわせを参考にして大きくいけるなら柚子を仏手相陀変えても良い。変ったその形から受ける印象が強いので、とりあわせる花材も相当力強いものを必要とするο伊丹梅や松ととりあわせて文人制にいけるのが一般的だが、アロカシアのような観葉植物といけられるし、いつか大輪の白い糸川制ととりあわせたのをテキストにのせたことがあったが、払手柑のレモン色が冴えて良いいけ花になったじ乙の作例では苔梅の幹だけしか使っていないが、事になると小枝の先の苦もふくらみはじめ、うるおいがましてくる。梅と柑橘類のとりあわせもよくいけられているが葉の水揚げがよくないので葉はとってしまって、代りに椿の葉をそえて緑と黄色を対照させるようにしているυ何瓶かの中に乙んな花がいけられているのも良いものである。,刃「御趣味は?」と聞かれると此頃は大抵「料理位のものですね」と答えているが、本当に趣味なのかどうか自信がない。私の祖父は多芸な人だったが、やりはじめたことは徹底していたようである。花作りに夢中になっていた頃は郊外に大きな温室を幾棟か建てて週末はそ乙で暮らしていたυすべて大がかりで釣りをするにしても家や舟を土地の漁師に管理させてその知識を熱心に吸収していたようであるυのんびりした時代の旦那の趣味といえばそれまでだが、何か一つの趣味に自分の余暇を集中してつぎ乙み、その道の玄人にひけをとらない位になって見ようとする気持は大切なことだと思うその点で私の料理は未だに中途半端なものである。スープを作っても毎回味が少しずつ違ってしまうο玄人なら多少の山来、不山来はあっても、大体一定の味を保っているυ私のように気の向いた時だけの料自ではその近くまでも行きつけない。机父はどんなに仕事の忙しい時でも楓室通いは欠かしたことがなかったらしいυだから随分良い花ができていたようである》趣味とはい付けの大変な暮らし方の中から少しでもうるおいを作り山すζとなのだろうν好きな道のために少しでも時間と経費を捻出するには人より余計働かなくてはならないだろうが、そのような貴重な一刻の積み重ねは、生きる喜びを大きく幸せを深めて行くο私は祖父から色んな楽しいととを教わったに一人でも何か深い趣味のある人がいれば、川聞の者にもそのうるおいが及ぶものである》趣味の大切さはそういう所にもあるのではないだろう趣味について子制l花器朱塗花瓶7

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