テキスト1983
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フ歯J蘭葉日朝一す変った花型である。大きくたに動き出しそうに見えるのは、横長の水盤を斜めに使ったこと。ホ後の葉闘が垂直に近く立ち、中起のパラを少し左にかたむけ、左端の玉羊歯を低く左横にのばした乙とによる。葉聞は生花以外に使う乙とは的どないといってよいοただ朝日葉山だけは、盛花に時々あしらっている。丁寧に育てられた朝日葉聞は白い部分も美しく、緑も他の葉蘭のようにてかてか光ってなくて品が良い。明るい洋花にとりあわせてもよくうつる。乙のとりあわせは不仰にかかわりなく手に人る花なので析古の参巧にもなるν削円葉山は面を正一而K向けて縞模様をはっきり見せた方が良い。自然調に横になびかせていけるとぼってりと重い感じになって、はなやかなパラと制下があわなくなるν作例の他にも色々な花型が考えられるが、乙のようなとりあわせでは基本花型は使わず、各自の創意を主にしていけた方が良い。朝日葉闘がない場合ならサンセベリア、或いは線状の花材を沢山集めていけても、とのような自由花型はいくらでも考えられるνとりあわせるにあたっては花の種類は少ない方がよい。色も形もそれぞれ追った花や葉の美しさに目をうばわれて杭類を多くしてしまうと、その配的に迷い結極雑ないけ方になってしまうυも、生花では真にも使われているし相当大きな盗にいけられていることがある。ただそれは比較的成長の早い、野生の薮椿の古木である乙とが多い。太い幹から山た古びた小枝の先の一一愉のたたずまいには、いけ花というものをしみじみと感じさせる何かがある。冬の花として欠かす乙とのできない椿の花も、落ち方を気にする故かお正月や祝儀の席にはいけたくないという人も肝るが、夫しい花を下らぬ縁起にか乙つけて敬遠するという考え方は、花をいける人の気持にそぐわないものだと忠う花は美しいままに枝を離れ、あとにはやがて実となる子房がのぞいているのを見れば向然の山一品かさを感じる位円である。権は、いけ花の歴史と共に、そのいけ方に工夫が乙予りされ続けてきているので、技巧の完成度は高い。いけ方が小さくなる程各流の定めもむつかしくなる。一花三葉半とか、白椿一輸に陰陽二枚の葉を同いるυうまくいけるのは中々むつかしいものであるが、そういう一輪活けも時々やってみると椿のいけ花としての美しさがよりよくわかるようになるυ表紙の白椿は小さく三輪いけてみたのだが、郡一一通りいける乙とも難しいが、校ぶりに従って工夫するζともそれ以上に難しいことがよくわかる。先代もよく言っていたが花は中々上手になれないものであるυノt赤羊玉花器長方形水盤3

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