テキスト1982
97/152

花円ハド−LV 女郎花は大きな葉をとって前に倒門的女コスモスは花の美しさにひかれて誰しもいけたくなる花なのだが手を加える乙とは中々むつかしい。まずコスモスは本数を多くいけて自然に咲いている時の感じを出してみたくなる。むらがって咲いているとそれほど多く感じない葉も花器のuにまとめてみると三分の二位は不必要である。分枝も多過ぎる。だがとりすぎると、うるおいがなくなる。分枝や葉を三分の二ほどとり去ったものを十本位集めると丁度良い加減の自然なコスモスの感じになる。ガーベラのように分枝のないものと違ってコスモスは分枝を切りとる際分かれ円の葉を少し残しておかないと切口が目立つととも注意したして軽やかで柔かい黄色の霞のように使っている。いけ花の参考書をみると大抵は葉や細い分枝が邪魔でいけにくく、型にあてはめにくい花となっている。前記のように枝葉を整理して花瓶に挿しても自然のままの状態でいけたような無雑作な感じに見える。都会でも植えられ身近な花でありながらその美しさを花器の中にとり乙むのがむつかしい花である。お被をする。翌二日には岡(くじ)取式が市役所で行なわれるが、時代からはじまり、江戸時代には京都所司代が列席して行なわれたが現在では京都市長がその役をつとめている。そこで鉾や山の巡行の順番がきまるのだが、各山鉾の当番行司は勿論全員和服の正装である。洋服の礼装は未だに許されていない。十七日の山鉾巡行の行列の際はそれよりもっと厳しく全員麻の紋付K持(かみしも)を着用しなければならない。時代錯誤と忠われる方もあるだろうが私はそれで良いと思っているし、乙んな形式が長く続くことを望んでいる近所の古老の話では「昔は鉾町の家賃は安かった」そうであるが年間低園祭の経費の積立、祭のシーズンになると出費が重なる上に仕事もおちおちゃっていられなくなるその損失も大きい。そんな祭を千年も続けて来た京都の町衆というものは決して脆弱ではない。日木の三大祭りの中で京都の祇園祭は第二次大戦の戦災はまぬがれたものの、古く、応仁の乱以後何度も戦乱にあい、大火にもあってきているがその都度復興させている。祇園祭の用具は日本の工芸の歴史をそのまま伝えているが、現在でもその調達は京都以外にはなし得ない。一つの文化の継承にはその町の人々の明確な理解に根をもった強い支持以外にはその方法がない。室町コスモスUスモスコ花器焼締手付花瓶5

元のページ  ../index.html#97

このブックを見る