テキスト1982
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を加えずに使うζとにあるように思う。立花の型を忠実に守って立てられたものの良さとは別に、獄樺のような野性的な樹木の持味を損なわずに立花に仕立て上げるには古風な枝使いは避けて、むしろ投入れ花のような調子の方が良い。板屋風にしても高原や自生地で見る種類は雄大な樹形をしている。普通の立花の場代なら持った枝振りを選んで型通りのいけ方の方が美しく見えるが、樹形を生かせるような大きな花席では思いのままに形造ってみたくなるものである。そして桑原専慶流の骨太で松葉五厚味のある花風は長い年月西本願寺の中で薄暗くはあるが金色という強い色の問におかれる花として当然そなえなければならなかった乙とから生まれたのではないかと思う。実際に西本願寺の本堂に一時間程座って御覧になれば実感として理解していただけると耕:(だけかんば)思う。細い繍酒な花ではど乙に花がいけられているのか分からないような雰囲気の中で育った立花であるといえる。そして立花だけでなく盛花や瓶花にもその特色があらわれているようである。所に正源寺がある。ととは十一代目家元が晩年を過ごした所で、盟国を中心にその流れをくんだ人達が多い。瀬津慶定氏の案内で当時の門下の人達によって建立された墓K詣ってきたが、国道沿いにあり分かりゃすい所なので通りがかられた方は御立寄りいただきたい。琵琶湖大橋のある堅固から北東少しの当局,G 堅固の正源寺岳榔子の実(染付角型花器)3

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