テキスト1982
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松葉落楓屋板日本いけばな芸術協会も発足して十五年たった。東京で開かれた第一回展の頃、小学校に入ったばかりだった樫子も、今回から会員として一人前の顔で自分の花をいけている。前期には岩田慶寿、竹中皮敏、杉浦慶節の三氏の瓶花の大作。山獄樺(だけかんば)と鉄線三色で日本アルプスの清々しい空気を、そのまま会場に運んできたような感じにいけ上げられており、桑原専慶流独特の色彩の自然感が充分出ていた。桜子の防は大輸の赤いアマリリスと白いアマリリスにジキタリスの枯花、アロカシアを白地にプラチナの太い縞の入った花瓶にいけていた。槙子らしい感受性が配色やスタイルによく出ており、敷物として用いたテーブルマットの赤も、アマリリスの赤との対比がよく計算されていて可愛らしきの中K少し頼もしきも感じられるようになってきた。渋味のよさの出ていたのが後期の素子の盛花である。変った形で人目をひとうというのではなく、花の持味をそのまま素直K活かしきっているので堂々とした感じを・つける。やはりそれは長い聞に蓄積された力と花への愛情がそんないけ花を生み出すのであろう。ジャlマンアイリス、海葡萄、けむり草、花器は淡青色の深い水盤、花台はフランス製の濃い焦茶色で、花と一体にとけあっている。見飽きのしないいけ花だと思っている。先代も日本いけばな芸術展に時々立花を出していたが、今回の大作二席は前後期とも大立花を出瓶した。前期には上野淳泉、斎藤紫水、望月慶悦、米山慶嘉、高山慶益の五氏の合作、後期には仙演、尾崎炭光、長谷川慶賀、和田慶千、堀内慶信の五氏。前期では獄樺、五葉松を主に、正真に榔子の実、あしらいに石楠花(しゃくなげ)を使って染付の角型大花器に立てた。現代的な花材で、力強い立花をねらったため、実際の重量も相当なものである。一枝左へ長く張り出す枝を出したなら右へは太く短い枝を配してつりあいをとりながら作りあげて行く。重心を出来るだけ下に下げ、物理的なバランスと視覚的な調和を一致させるのは大作の立花を立てる時の楽しみの一つでもある。後期の板屋楓、落葉松、花菖蒲の立花は前期の立花とくらべて少し軽やかさを出そうとしたものではあるが、幅4mの花席には相当太い枝が必要になる。私達の流儀の立花の特色というのは花材の持味をそのまま、あまり手立花蒲菖花(飴色粕花器)2

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