テキスト1982
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(倉敷にて)花器銅砂鉢倉敷には桑原専底流の江戸時代からの古い型の生花が守り伝えられている。幸い岡山県木部の高谷玉泉会長が生花に大変熱心な上、その知識も豊富に持って居られるので三月の末に倉敷に一泊し、二日間色々と聞いて来たので紹介したい。守り伝えられている花型や約束事は一言で言えば出生(しゆっしよう)に非常に忠実だという乙とであろう。又古くからの約束事を厳格に守り、昔のままを略さずにいけている上に役枝の名称も変えていない。一一日の聞に菊、柾木、葉関、水仙、杜若、万年青等を高谷氏といけ合って古型と現型の相違を探り、今後当流の生花を充実させて行くのに必要なことを話し合い、四季折々の花をいけ合ってみることを約して来た。今川はその杜若について述べてみよう。文中の序、似、午は点、刑、聞にあたる。序(真)は花一木と葉二組を用いる。阿の最も一川町い史は五枚表組とし御後葉と称し、その前に花を挿し、軸隠し(頁問)の五枚左高架組で花を問う。花は菅を用いる。次に見込が挿される。右目の五枚組で出(真)の半分位の高きで開花を用いる。破(副)はιハ枚組と半開の花としている。六枚となるのは破の左下に含み葉という小葉を加えるからである。破の前に前置(給四)の五枚組が入る。左高になる。その右後に急(留)の右高五枚葉が入る。そして真の後には五枚組の技が高くいけられる。なお一株いけの場合急(留)の右に魚道の左高の三枚組が入る。株分けの場合には主株の小型K右に勝手を変えていける。現在社若では三枚契組を主とし、前の方の花のある葉組だけを五枚組としている点、胴(見込)を破(副)の後にしている点、前置(総囲)が左高になる点、控の高い点等が追って来ている。以上相違する所が四点あるが花型全体から受ける感じには変りなく桑原専〜民流の血が流れている。高芥氏と話をしていると生花が好きな上に農業をやりながら花を自分で育てて居られるので観察が深く、興味をもって聞くととが多い。実際に生花の原則は自然の生育状態を根気よく制・察しての上で成り立つものなのである。教えられたいけ方の内容も時々は自分の目で向然を観察して確かめて見ると良い。成程そうだなと感じることがあれば生花も一一胞楽しくなってくる。倉敷に限らず方々へ出かけて行って現在の私達の生花の基になっているものを根気よくたずねて見たいと思っている。杜若7

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