テキスト1982
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ップ花器トルコブルl地尽草花文花瓶麦というのもいけ花によく使われるものである。人聞にとって古くからの食糧であり、有史以前からのつきあいである。同じ大切な食糧である稲は、いけ花に用いられることは無いのに麦だけは気楽にいけられている。昔は五穀や食料忙なるものはいける乙とを遠慮していたが現代では一切かまわれなくなった。だが稲だけは例外らしい。水揚げの悪いせいもあるだろうと思うが、一度大阪でのいけ花展で根洗いのままの稲と辿をいけたことがある。根洗いのままだとル小揚げも良く、良いいけ花だったυそれ以来私もいけた事がないが、他でも稲のいけ花を見た記憶はない。日本人にとって神聖な穀物「稲」に対する心情は未だに続いてわるようである。白い一極輸のある赤のチューリップと麦υトルコブルl地に黒い花模様の壷に赤がきわ立って美しい。いけ方も一見無雑作だが水際もよく整理されているいれて、それに麦とチューリップをとめたυ麦とか太蘭等細くて柔らかいものを先にいけると、後から挿した花に動かされて何度もいけ直さなければならないので最後になって挿す。壷の中に剣山を.「ノO何はともあれ短時間のうちにも、したい。(三月十六日)今日は五月半ば頃の陽気だったそうである。快晴無風、朝から散歩に出たくてうずうずしていたととろ、丁度うまい具合に五条坂まで出かけなければならない用事が出来たので、ついでに清水寺から祇園迄ついてとないかと娘達にもちかけてみると大賛成で皆で出かけることになった。京都の街は手頃な散歩のコースがいくつかある、五条坂、清水から八坂神社への道。南禅寺から銀閣寺までも良いし、市内に未だにのんびり歩ける道は多い。別に名所でなくても、西陣あたりを機(はた)の音を聞きながら歩いているのも好きだし、ついでに北野神社K行ったりも出来るに行った帰りには御所を通って松の木を眺める。判日が忙がしくて、余裕のない暮らしのようでありながらも、何かと心のやすらぐ景色がある上に、周囲の人達ののんびりした言葉使い。私のいけ花はそんな京都の風土に守られ、育って来たのであろ気分の転換ができ、何となく豊かな一日を味わえた、今日の陽気に感謝『彼岸頃』花を買い号車二1麦チUU麦5

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