テキスト1982
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ストックの葉は、だらしのない形でいけ上がりのよくないものであるが、珍しく葉の椅一一なものがあったので持ち帰っていけてみた。山花のストックだがふくよかでたっぷりした感じでオンシジュlムととりあわせてみると嫌味のない配色である。左へのばしたオンシジュームは形の上では不要かもしれないが実際に飾る場合にはこれ位のボリュームを必要とする。小輸のオンシジュlムは一花ずつ近付いて見ると美しいが、全体としては貧出に見える。ないと使い方がむつかしい。白ストック(庭の羊歯)ζの位の大輪で三月から四月への移りかわりは仙の月よりはっきりしているようである。桜のせいであろうο三月中には咲くことのない桜が四月の初め、新学期の始まる頃には満聞になる。これが粋だ。三月中は私は冬だと思っている。末凶大雪が降る乙とだってよくあるυ成時記や府の上では新府の二、三、四月、成は三、四、五月を春としているが、何も一年に四季があるからといって、三カ月ずつに等分しなくても良いだろうと思う。オーバーを新るようになるのが冬。だから十二、一、二、三の四カ月。存は四月の桜からであり、一仰ぎに行きたくなる七、八月が亙かなくなってからオーバーを若る迄が秋だと思っている。ただ梅雨時の」ハ月だけは別な一つの季節のような感じがする。三月の夜半の静かな雨は私の心の巾で眠っている草木の蓄をふくらませ、もうすぐ自にするととの川来る花への業しさをはぐくんでくれる。待っている問の様々な心の動き、それは私達にとって大切なものであろう。待っていたものを手にし、その季節が終って又次の年を待つ。或いは何年も待たなければならないこともあるだろう。幼い時に雌気に感じた美しいものの記憶から始まり次第にふくらんで行く自分の夢を確かなものに育てて行くには、待つ乙とを覚えなければならないようである。パパぎに行U白ストックオンシジューム人手葛(ひとでかずら)花器黒地黄杭模様コンポート3

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