テキスト1982
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・廷桜が終って二カ月程たつと彼岸桜の季節である。枝には適度のねばりはあるが無理はきかない。生花の枝さばきを党えるのに欠く乙との出来ない花といえる。彼岸桜が終ると里桜(本桜)が税古に山てくる。期間を短くつめて密生したかたまりのように見せて右へ流した副の枝とつりあいをとるが、それでも副側が重いので冥の枝先を留側に少しかぶり気味にして物理的なバランスをととのえた。桜の生花で枝をたっぷりいけたいある。時にはどうしても小枝が多くなって新緑の五月が過ぎると再び明るい水際がごたつくので、との図のよう①色彩の花がいけられているが四月のに最前例に太い枝をそえて純枝のかたまりの前をか乙うとよい。の花も一種か二種を本数を少なく涼山一作彼三月というのは暖昧な月である。春ともつかず、冬ともニ一一円えず、もうとれで寒さも終ったかと思っていると月末に大雪が降ったりする。奈良のお水取がすんだらとか、比良八講が終ったら暖かく号なるのだと言われても気休めにしか聞乙えない。木当の春になるのをどっちつかずの気持で待っているような月である。そこでこ乙一年間をふりかえってみたい。四月は行事がたて乙んでいて大分忙しかったようである。テキストでは四月の植やかさを主に、暖かい色彩、しなやかな線。山はじめた杜若を楽しんでいけている。春になったという喜び、そしていけ花にとって四月こそが新年なのではないかと結んでいる。表紙に牡丹の生花を掲載したのが五月号だった。乙の号では春になった賑やかな喜びをいけた四月から少し落ちついて新緑を眺める乙とに重点をおいている。軽やかな色彩も淡前な花が五月を代表しているようでカラフルな感じではなく、強い色彩この桜年4主(百I]流し〉(白11経水盤・花留亀巾)6

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