テキスト1982
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狭い場所には縦長のいけ花が良い。家の中に花を飾るのにはちょっと小さいかなと思うスペースが所々にある。そんな場所でも上は天井まであいている。横にのびやかにいけられないなら上にのばせばいい。エピデンドラム形のままでは置けない事が多いと思う。乙の頁のエピデンドラムの葉付めにこの花をえらんだのか意味がなくなってしまう。幻佃位だから初佃刈位のスペースがあれば充分飾れるいけ方である。居間の隅や玄関等は桔古でいけたのような花は短くしたのでは何のた花瓶の高さがお個、全体でlm、エピデンドラムが上で少し広がっていけ方としては普通の瓶花のように十文字配りは使わず、花瓶の中程まで砂をいれ剣山花さしている。縦長ではその方が安定もよく思った通りの形にいけやすい。ムは三本共2佃位水切りしただけでそのままの長さと形を生かせる形を考える。一二本のうちで葉の一番良いのを前の方に使い、一本は直立させる。くの字形に曲がったのは花がきれいに見える面に向けていければそれでよい。アカシアは少し葉をとった方が黄が、それをあてにしてはいけない。色が美しく見える。大きな木で満開あくまでも自然の姿を各部にどうあのアカシアの黄色の見事さは葉の色てはめるかエピデンドラが殆ど感じられないせいでもある。切りとられた枝では葉が目立ちすぎそうした枝を見定める訓練を重ねて挨っぽく見えてしまう。叩叩前後て行く聞に木蓮なら木蓮の自然といの枝を5本使って美しくエピデンドうものが身についてくるのである。ラムの立ち上がりを支えている。色んな花の特徴を生かして、狭い①という事が生花では大切なととで、スペースにものびのびとした春の息自分の個性に従って造型して行くも吹きを満たしたいものである。のではないのである。一瓶の良い生エアカア〈表紙の花〉生花によくいける枝物の巾で擁めのほとんどきかないのが、乙のトホ必、枇杷、蜘踊(つつじ)等である。僅かばかりの矯めで、乙れを真に、と思っていた枝が折れたりして、間にあわせの枝でいけ上げてはみたものの、最初枝を手にした時に想像した、いけ上がりの姿の来しみが次々にとわれ、花材を恨みたくなるような気持は誰もが味わう乙とである。とうした枝物は矯めるというととは考えず、枝どりだけでいけ上げるものとしでかかった方が良いのである。与えられた枝の束をほどき、一本一木よく見定めれば必ず一瓶の生花の各枝を満たすだけの形が隠されている筈である。それを見付けるようにするのが斡肯の目的なのである。火で焼いて矯めることも出来る、切り絵バズルのよ・つなものである。乙の自然がいつの間にか身につく木蓮生イ~ピデ、ンフド、ノ1.:,.. (黒扇、V・1巨瓶〉2

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