テキスト1982
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満作(まんさく)という植物名も由来のはっきりしない花の一つである。乙の頁の前作が満作科の満作で一一月の末頃から四月上旬にかけて黄色い花が咲く。秋に紅葉の美しいのは同じ満作科の、丸葉の木という。そして花は十一月に暗紫色のホトトギスのような色の花を咲かせる。別名を紅満作といっている。いけ花に主として使われているのは乙の紅満作の方である。上の黄花の満作の集は晩秋紅葉した後も落葉せず、木枯しにも耐えて界の開花時まで枝にしがみついている。その茶褐色の枯葉と黄色い花の色の対照は大変美しいし、秋から詐迄の問の風や雪を感じさせる。小さな黄色の花をひき立たせるため花器はトルコブル1、とりあわせる花もアイリスの白と紫の二色を使ってみた。同じ春の花木でも庭木として手厚く保護されている栴や伐と追って野生の満作には地味な力強さが感じられる。作られたような形ではなく、ただニョキッとした枝が多い。携めやすい枝ではあるが盛花や瓶花にはそのままの形でいけた万がよい。同じ制作科に入る春の花木として土佐水木(とさみずき)と日向水木(ひゅうがみずき)がある。緑がかった鮮やかな黄色の花で名前通り水々しい花でもうそろそろ花屋の店先に見る乙とが出来る。い考えてしまうが春先や秋口の乙の家の気持よさを考えるとそう簡単に改造に若手出来ない。寒くてもつい行って見たくなるのは雪の日の嵐山である。市内からでも手頃な距離だし、雪景色の大堰川を眺めた後湯豆腐で体を暖め、奥嵯峨の方まで歩くとよい。積もった雪の聞に見える山茶花の赤に目を奪われたり、暮れはじめた凶雪の枯畑の遥か向うに見える京都の街の灯火も空気が泣んでいて、いつもよりずっと鮮やかに光っている。そんな日は寒くても歩くに限るのである。附くなって来た野道を早足で大通りまで出てタクシーをつかまえて、歩きながら考えていた暖かそうな行先を告げる時・・・・・・そんな日が底冷えの京都でとそ味わえるかけがえのない楽しさなのである。一一月に入ると節分である。大晦日に祇同さんにおけら火をもらいに行くような人は、大抵、節分には吉田神社にお詣りする筈である。いつも底冷えのする主り空の嫌な日であるように思う。よくもまあこれ程というくらい露店が立ち並ぶ。娘達も大分大きくなったのに未だ行きたいらしい。ついつきあってしまうが、私は露店の中でもおでん、間酒の看板の前でつい足をとめてしまう。娘達にたしなめられるが、友達連中に聞くと男は大体はそんな事らしい。底冷えの京都も良いものである。満作(まんさく)アイス(白・紫〉花器トノレコブノレ一花瓶9

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