テキスト1982
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今百透赤ドラセナの赤紫と透百合(すかしゆり)のオレンジ色は合いそうもないと思っていたが、二つを並べてみると案外うつりが良いのでいけてみょうかという気になったο柑端な配色にならないよう薄の穂をそえて色をやわらげておいたが、明るいいけ花である。花瓶は上が黒く、下が白壁のような色をしている。’円や崇の花器の上にはどんな色の花でもよくあうが、乙のいけ花でも例外ではなかったようである。いつも感じる乙とだが、花の色と誕の緑との不思議な調和、例えば、乙の透百合のようなオレンジ色のブラウス花、業の色のスカートをはいてみようとは誰も思わないだろう。不調和な配色である。ピンクとグリーンという服飾のとりあわせも大抵の人は避けているようである。そんな感じをもっている我々も、花と、その葉の場合だけは、違和感なく、単純に美しさを認めてしまう。花だけにそう感じる理由は色々と考えられるが、乙れといった決まり手はつかめない。hl然の生み出す色彩は美しいが、それを我々の中にとり乙んで刷いるのは中々むつかしいものである。花にしても切りとられたものと、校のまま見ているのとでは大分趣が異なる。そ乙ら辺にいけ花のむつかしさも潜んでいるらしい。かよう会、毎月第二火曜日にやっているので、そう呼ばれているが大変長く続いている研修会である。投入れ‘盛花がその研修対象となっているが、自分の好きな花を持って来て、花器も勝手に選んで既成の却一にとらわれずにいけて見るという全く円由な会なので、いけている本人も面白いだろうが、私にとっても来しみな会である。先代の頃から私もずっといけているが、一頃は文句ばかり言われていたが、好きな花を好きなようにいけてみる面’円さにつられて飽きもせず出府していたοいけ終った花を家元が批評するととになっているので、現在は私がやっているが、批評するというのは中々むつかしい乙とである。まずその花一がいけられた意図がどういうものであったのか適確に知らなければならない。その上でその意凶が正怖に表引されているか否かを考えるようにしている。乙の会で件られることは、’円分でとりあわせが花器をふくめて勉強できるζとであろう。与えられた花を教えてもらった形にいけるととから一歩進んで、向分のいけ花をいける道に入って行く訳である。師範の資格のある人なら、いつでも入会できるのだから、会員一同持政の御参加を心から御待ち中しよげる次仰山です。!!?,彩花瓶穂、の薄ョ示ドラセナ白9

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