テキスト1982
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「蘇鉄は堺の妙園寺」頃覚えた歌留多の文句である。他にも五、ムハ句何かの拍子に口から出てくる。妙園寺へは中学校の頃一度行っただけだが、どんな蘇鉄が植えられていたかは思い出せない。近頃あまりいけられなくなった花材だが、いけてみると幼時の記憶が蘇ったりして、楽しんでいける乙とができた。乙の蘇鉄の小株は、C字却に芯がえぐれていて中に水がためられる。口の小さい乙の花瓶の上でも座りが良いので色んな花をそえてみている。ふI原稿を書いている机の隅に、梅擬を庭の社鵠草にいけかえて置いている。蘇鉄を花材として見ると、それほど興吠・の湧くものではないが、ζの小株は高さ日倒、い。南洋の小島に流れついた榔子の実から山た若芽のようである。又蘇鉄は恐竜時代に繁茂した羊繭(しだ)植物のような感じも残っている。それに白木での野生地は、鹿児島、沖純であり、何となく熱荷植物のように思え、松、梅、椿等とは趣の異った樹である。秋の終りに葉刈りするが、その葉が一一目安価な花材として盛んに伎われていたせいで、蘇鉄のイメージは大分下がったようであるが、とりあわせを工夫すれば又追った一面が見出せるのではないかと、机の上の乙の花を見乍ら考えている。、幼稚園の上の小業がかわい郊の胞も風に吹かれて、十月の終り頃には枯尾花になり、枯れ残った葉が紅葉しはじめる。菊もその頃には山るのを仰っているような良いものが店に並ぶu実の物もその頃が一年中で最も多い。紅葉物と実物と錦、一般的なとりあわせで、身近に秋が感じられるいけ花ができる。秋には静かな、落ちついた花を季節感として求められるが、よく考えてほしいのは、秋をいけたつもりがただ寒々とした淋し気なだけの花は秋を感じさせもしないし、いけ花でもない。冬を前にした’円然というものは、はかなくもなければ、うら悲しくもない。見かけよりはもっと、もっと還しいものである。乙乙では、おくれて秘を出した部二本に少し紅葉した葉をそえ、糸菊と単弁の山菊に柘植を低くそえた。柘楠の原産地はイランだそうだが浅時代に中国に渡来し、観賞用の悶芸作物に改良されている。中国を経由して日本に渡来したせいか、日木でも観賞用の柘楠が多いようだ。・柘梱(ざくろ)・薄・花器(木村盛伸作灰紬深鉢)・白糸菊・紅小菊一一表紙の花擬梅蘇そ鉄わ花器J草地内紋花瓶2

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