テキスト1982
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八月は講習会が多く、一夏それに明け暮れたような気がする。最後が徳島での講習会だったが、昔から桑原専慶流の盛んな地方でもあり、「立花錦木」も寛政八年に鳴・諸制門会(八月廿・西田慶正先生の御逝去廿一−日〉心に、石原慶闘、西出産正等各先生門で著されている。今回の講習会は武田慶園社中を中の社中が参加され、鴨島で行なった。百名程入る会場も一杯で、初日には生花、二日目は盛花、投入れと分けて講習した。当地での木格的な講習会は初めての事だったが、受講者の熱心さには敬意を表したい。初白の生花では講義と実技を行なったが、その土門は生花にもっと馴染んでもらうことにあるο今月号の「生花雑感」2真に許いた乙とを骨子として前義し、実技でもどく基木的なことを丁寧にくり返すことが最も簡単な上述法だという乙とを示したので、生花というものは難しいものだという誤った先入感は、皆さん拭い去って下さったようである。一一H目は雌花、投入れの抜本花型をいけながら解説した。次に自由ないけ花についても、身近な花を使って、配色、形の構成の要点を十数瓶乙れも京子と二人でいけながら、分かりゃすいように説明してみた。諸山中い会をすませてから、西田鹿正氏の御見舞に行く道花、鳴門の大谷焼の窯場がある。宇治の抑井さんがそ乙の矢野陶苑に嫁いでおられるので、前日の講科会に出府された時に頼んでおいて案内して頂いた。請科会場の二階にも直径川m位の大谷焼a‘・1の睡蓮鉢があったので、それを見に行ったところ火入れ直前の登り窯に近頃見たこともないような大きい笠や鉢がつめとまれており、見ていて大変気持のよいものである。相憎御主人の矢野氏は御不在だったが次回御会いしたく思っている。西旧先生の病状が大変必く、私達が徳島K来るのを首を長くして待ち望んで居られたのだが、判った頃には、もうすでにかすれそうになった意識をふりしぼって私迷の訪問に応えて下さった。あくる日の、八月二十三副の午後三時に永眠された。御一円六一加を御祈り巾上げる。・大谷焼阿波i

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